松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

永遠にあきらめません(陳光誠)

陳光誠問題については、すでに大手新聞1面などにも大きく記事が載っている。ウィキペディアにもしっかりした記事がある。(自分の再確認のためにも簡単なメモを書いておきます。)

陳 光誠(ちん こうせい、チェン・グアンチョン、1971年生)


大学卒業後は地元である臨沂市沂南県に戻り、按摩師として働くかたわら、法律相談を行ったり、農民工や障害者、女性の権利擁護に取り組んできた。


彼の名を世界的に知らしめたのは、2005年6月、人口抑制関連法(一人っ子政策)を厳しく執行し、人工妊娠中絶や不妊手術を強制した山東省臨沂の当局に対して行った集団訴訟を巡ってである。これに対して地元当局は彼とその家族を7ヶ月間自宅に軟禁、2006年3月から地元警察により臨沂郡の施設に拘禁され、同年6月21日逮捕、同年8月24日4年3ヶ月の有罪判決を受けた。2010年9月9日釈放されたが、その直後から自宅に妻とともに19ヶ月間に渡り軟禁された。(ウィキペ

 「地元当局者は子供がいる女性を見つけては暴力を使って避妊リングなどを強制した。女性が逃げると、圧力を加えるため夫や両親を捕まえる。さらに親戚や近所の人もどんどん捕まえて拷問を繰り返した」。実に臨沂市の人口の1%強に当たる約13万人が結紮(けっさく)などを強要されたと、陳氏は見ていた。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1851?page=2

 実は、陳氏が村を脱出したのは今回が初めてではない。05年夏、強制中絶問題を訴えるため、夜中に自宅を飛び出し、暴漢の追っ手を振り切り、上海、南京を経て北京に向かった。北京で出迎えた江天勇弁護士と一緒に米国大使館に行ったが、臨沂から追い掛けてきた公安当局者や暴漢ら6人が陳の居場所を突き止め、陳氏を連れ帰ろうとした。(略)


 しかし陳氏は結局、待ち伏せていた臨沂の公安当局者に捕まり、殴打されながら車に無理矢理乗せられ、連れ戻された。それ以降、陳氏への弾圧は強まり、06年3月、ついに自宅から連れ去られ、外部との連絡を絶った。公共財産を損壊し、群衆を組織して交通をかく乱させた、という言われなき罪で同年8月には懲役4年3月の実刑判決を受けるのだ。


 この際、陳氏と接見した弁護人・李方平氏は同氏が「永遠にあきらめません」と口にしたのを今でも鮮明に覚えている。
http://wedge.ismedia.jp/articles/-/1851?page=3


さて、今回全世界が彼に注目するようになった契機は、4月20日前後に陳氏単独で脱出に成功した後、彼とその支援者がyoutubeにUPした[中国語版 http://www.youtube.com/watch?v=ycMCdAtgeu0&feature=youtu.be&hd=1:title=メッセージビデオ]である。
ふるまい よしこさんによる翻訳が下記にある。

敬愛する温総理、やっとのことでわたしは逃げ出すことができました。ネット上で流れている、わたしに対して行われた暴行についての指摘は、すべて事実であることを当事者であるわたしがここで証明します。そこではネットで流れたそれを上回る、あるいはそれをさらに上回るようなことも行われてきたのです。

 温総理、わたしはここで正式にあなたに対して以下の三点を要求します。

 第一点、この事件についてあなたが自ら問い合わせをし、捜査チームを派遣して徹底的な真相究明を行っていただきたい。
http://www.newsweekjapan.jp/column/furumai/2012/04/post-493.php

中国は法治国家である。実刑判決「懲役4年3月」が終われば当然彼は自由の身になる。ところが実際には、ビデオによる告発にあるように彼は彼の家族とともに自宅に幽閉されることになる。しかもこっけいな感じを受けてしまうが、その監視体制は下記のようなものだった。

(監視体制は)だいたい我が家を中心にした構成になっており、家の中に1チーム、外に1チーム待機していました。外のチームは我が家の周囲に分散し、我が家を中心に四つの方角、そして路上に、さらに外に向かってという形ですべての道に人が立ち、我が家から四方八方に大きく広がる形で村の入り口まで続いていました。もっとも厳しい時には隣村までそれが伸びており、隣村の橋の上にも7、8人が座っていました。(同)

さして大きくない村(という印象を受けるが)に百人前後の「監視者」が継続して張り付いている。

「お前は(以前YouTubeに発表した)ビデオで(一家の監視に)3000万人民元が使われたと言ったが、あれは08年の数字だ。今では2、3000万なんてもんじゃない。あれには北京の、上の政府関係者に贈られた賄賂は入ってないんだよ! できるもんならネットでしゃべってみろってんだ!」(同)

予算の無駄使いである。


このもんだいについて津上俊哉氏は、次のように書いておられる。

陳氏の訴え (陳氏が地元の幹部から聞かされた話) がすべて真実なのかどうか、は分からない。しかし、ここで言われている 「安定維持」 (中国語では 「維穏」) 経費が上級政府の公安系統から陳氏の自宅のある農村まで下付されている実態は、金額の正確さは別として事実であろう。
http://blogos.com/article/38320/
陳光誠氏の亡命事件で考えた別のこと - 津上 俊哉


そしてその背景として、基層自治体財政の困窮があると指摘する。

中央財政力の強化の裏側では、地方財政が相対的に窮乏化した。とくに、分税制改革自身は中央と 「省」 級政府間の税源移譲を定めるのみで、省以下の各級地方財政間の取り分については各省に委ねたのだが、結果として省政府が 「中央に倣え」 式に基層 (県、郷鎮、村などの末端) の地方政府から財源を吸い上げる現象が起きた。

この結果、医療・教育・福祉など住民向けの公共サービスの担い手である基層政府の財政が困窮化し、公共サービスの給付水準が下がり、住民負担が増大したことが後に幾多の社会問題を生んだ。(本問題にご関心のある方は、経済産業研究所時代に書いた拙稿 「中国地方財政制度の現状と問題点 近時の変化を中心に」(pdf)を参照してほしい。)

近年、中国の地方政府が土地払い下げ収入 (出譲金) を重要な財源とし、その収入動機から地価高騰を煽ったのは事実である。しかし、地方政府にすれば、「分税制」 改革がきっかけで財源を上級に吸い上げられたので、そうするしかなかったという事情もある。
http://blogos.com/article/38320/

今年3月の全人大で行われた財政部長の報告で、2012年の 「公共安全」 予算は7017億6300万元 (約9兆1200億円) とされ、国防予算の6702億7400万元 (約8兆7100億円) を上回った。さっき述べたように、そのあらかたは地方政府で支出される。陳氏が述べたように、各上級組織で次々ピンハネされて、氏をいじめた村の人間に手許には90元/人・日しか来ないとしても、広い中国で足し上げていけば、そういう経費を含む 「公共安全」 予算が国防予算を上回っても怪しむに足りない。


「自分たちの生活がかかっている」 となれば、末端の党・政幹部は 「ノルマ」 を設けるだろう。「村の決定に不満で、上級政府に直訴しようとしたり、マスコミ記者に接触しようとしている陳某を 「不穏分子」 として上級政府に申告し、監視・軟禁経費として毎月ウン万元を申請しろ」式に。本末転倒の 「不穏分子」 探しが起こることは想像に難くない。

私たち「(いわゆる)西欧の人権派市民」は、今回一人の過酷な人権侵害と勇敢に戦うヒーローを見出し彼に心情的支援を送ろうとしている。それは正しいことだ。


過酷な人権侵害は陳光誠氏に沈黙を強いるために(彼が不正の告発をしないように)行われる。しかし、それは日本の無駄な公共事業と同じく中央の金を金がない辺境の自治体にお金を回すための「方法」として全国で行われているもの、でもある。そのような「本末転倒」がある、と津上氏は指摘する。

そこまで酷くなくても、農村で役人が 「一人っ子政策」 違反の罰金 (「社会撫養費」 という) を農民から厳しく取り立てる話は、中国で広く聞かれる。「熱心」な村では、「超生 (二人目を産む)」 の罰金はおろか、妊娠状況の定期検査を受診していない、既に子供を産んだ女性が卵管結紮手術を受けていない等々、ありとあらゆる口実で罰金を強制的に取り立てるという。それが村の党・行政組織のメシの種になっているのだから、頷ける成り行きだ。
http://blogos.com/article/38320/

女性に対する卵管結紮手術の強要といった人権侵害への告発が、陳光誠が当局から見て問題人物化する発端だった。
その巨大な問題もやはり、「村の党・行政組織のメシの種」問題の一つと考えうるらしい。


一つのニュースにし易い人権侵害問題に熱くなるのは愚かだ、別のもっと大きな矛盾があるといったことを言いたいのではない。
中国の政治社会が孕む大きな矛盾に対して、その底辺におけるささいな(卵管結紮手術問題は、女性生殖器の内部の問題であり、伝統的価値観では男性も女性も口にすることが許されていないサバルタンな問題系である)人権侵害を、米国首脳を巻き込む大文字の政治問題にまで成長させたのは、陳光誠とその支援者たちが、正義、自由、公開のための行動を巨大な勇気をもって絶える事なく継続してきたからである。私たちもまた正義、自由、公開に対する感受性を絶えず問われていることを自覚しなけらばならない。


関連リンク:
5月2日夜の滕彪と陳光誠の電話会話記録
http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/b0d1cbacc050fba65a2aa14f7d69dd22