松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

チベットにおける人権侵害

「個人的には、私はチベットの僧の転生とやらは、転生とされた子どもの自己決定権は決定的に侵害されると考えています。」
http://d.hatena.ne.jp/bogus-simotukare/20071016/1307052595

シモツカレ氏は誰かの文を引用して賛同している。
それより先に、
上記*1のような酷い人権侵害が現在まで継続して中国当局によって行われているとしたら、それに心を痛め、じぶんなりに真偽を確認しようとしていく必要があるだろう?
そうは思わないのか?

シモツカレ氏の応答

>上記*16のような酷い人権侵害が現在まで継続して中国当局によって行われているとしたら、それに心を痛め、じぶんなりに真偽を確認しようとしていく必要があるだろう?
そうは思わないのか?(野原)

本当にあんたは「中国支持=ダライ批判」「ダライ支持=中国批判」という出来損ないの脳みそしかもってないのな。

上記*16のような酷い人権侵害をシモツカレ氏は読んだのか?ざっと見て、読み流したのだろう。
上記のような酷い人権侵害は、絶対的な参照点でありそれを軽視するべきでないと私は思っている。戦後西欧の思想空間では〈アウシュヴィッツ〉がそうであったように。
戦後西欧の思想空間での〈アウシュヴィッツの絶対化〉を批判しなければならない、としてポスト構造主義が生まれたのではある。
しかしその前提として、上記のような酷い人権侵害は、絶対的な参照点でありそれを軽視するべきでないと私は思っている。
これはもう少し丁寧に展開して行きたい。
東アジアにおける語り得ないほど酷い人権侵害として、想起すべきなのは、北朝鮮における各種の収容所である。


しかし、それに歴史的に先行する、大日本皇軍によるものをまず押さえておく必要がある。
http://666999.info/noha/dai2.html
今回と同じく、歴史家でもジャーナリストでもない人の文章の引用集にすぎないのだが、意味はあると信じる。
(3/21記)