松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

チベット問題

http://d.hatena.ne.jp/noharra/20120309
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20120310 の続き

 山際素男氏の「チベット問題  --ダライ・ラマ十四世と亡命者の証言」という本を読んだ。光文社新書、2008年刊と書いてあるが実は親本は1994年刊行と20年近く前。(読み終わって気づいたが)
それでも内容は古くなっていない。*1
 チベット人は中国との関係において絶対的劣位にあり、極端な抑圧を受けつづけている、そうした状況が好転していない。古くなっていない、とはそういう事を意味するので悲劇的なことだ。


 悲劇が続いているという点ではパレスチナと同じだが、あちらは国連も介入しオスロ合意以降幾つもの動きがある。*2 チベットの場合、ダライ・ラマ一人が世界を回っていても何も動かせずに終わっているようだ。(先進国市民の)人々の無関心にも責任があろう。つまり、今まで、チベットについて何も知ろうとしなかった私にも幾ばくの責任はある。


 チベットでは1988年の春と秋に、漢民族チベット支配に抵抗し、独立を求めるラマ僧ら数千人規模のチベット族の反乱デモが起こった。*3


 山際は1992年初め、インドに亡命してきた二人の若い尼僧にインタビューした。ツェリン・チョキさんとテンジン・チョドンさん。この本でp120から148までがそれに当てられている。簡単に紹介したい。*4


 まずツェリンさん。8歳から2年間学校に通ったが中断。中国人がひどい重税を押し付けてくるので子供すら働かないといけなくなった、そのためだ。中国人は子羊が生まれるとむりやり殺させる。チベット人に余裕を与えると、反抗する気持ちを持つかもしれない、それを恐れて。「たくさんの人々が絶望し、自殺する人がつぎつぎと出ました。」
食料の配給は少なく「私たちはいつもお腹をすかしていた」
 そこでラサの尼僧院に入る。*5
1987年ごろ中国政府は緩和政策を取り、大きなお祭りを許可したがそれきり禁止。*6
それに抗議して平和的デモが行われ、尼僧たちも参加した。
「私たち僧侶にとって一番大切な祈りと学修のためにお寺に集まることすら禁じられた」、ゆえに抗議せざるをえない、しかし、

デモをやり、スローガンを叫べば逮捕されるのは分かりきっていました。時には銃で撃ち殺されることも、です。でもそのことが外国に知られ、私たちの気持ちが世界に伝えられるのなら死んだっていい、という覚悟で街頭に出て行ったのです。*7

酷い拷問

テンジンさんの話

 私は1988年3月のデモに13人の尼僧と一緒に加わり、逮捕されました。(略)
 私たち尼僧がつかまった時、たくさんの市民が私たちを救い出そうと警官や中国兵に立ち向かってくれました。警官隊は催涙ガスで群集を追い散らしましたが、一人のチベット男性が中国兵に飛びかかり、その場で射殺され、それを見たチベット僧は中国兵から銃をもぎ取ろうとし、その僧もまた犬ころのように射ち殺されてしまいました。(略)
 一人の尼僧が“自由を返せ!”と大声で叫びました。そのとたん、中国兵が銃の台尻で彼女を殴り倒し、彼女は気を失ってしまいました。*8

 私は誰に命令されたのでもない、誘われたのでもない。自分自身の意志で参加したのだ。ほかの尼僧もみんなそうだ。私たちは独立を求めている。チバベットはわれわれの国なのだ。お前たち中国軍が勝手に他人の国へ押し入って武力で占領し、それを〈解放〉だと世界中にいい触らしているだけではないか。お前たち中国人は直ちに中国へ戻り、チベット人チベットを〈解放〉すべきなのだ。たとえ拷問で殺されても構わない。殺したければこの場で殺しなさい。*9

 この言葉を聞いたとき、山際は「私は彼女の勇気に心底感嘆」したと書き付けている。同感である。


いよいよ拷問がはじまる。

 中国官憲に命じられて、チベット人警官が太い竹の棒で私を殴りました。質問に正直に答えろと怒鳴り、殴り続けます。*10

 彼女(婦人警官)たちは、それぞれに大きな杖、電気ショック棒、麻縄を携帯し私を取り囲み、うむをいわさず私を素裸にしました。私は一糸もまとわず、ふたたび両手両脚を縛られ床に這わされたのです。そしてむちゃくちゃに殴られました。私はとうとう気を失ってしまいました。やっと意識を取り戻し、あたりを眺めると、房の外から逮捕された何十人ものチベット人が私を見守っていました。その人たちは見せしめのために、むりやり、真裸で床をのたうっている私を見させられていたのです。そんな姿の尼僧を見せつけることで、僧侶への尊敬心を民衆から消し去ろうとしているのです。*11

中国人婦人警官は、彼女の髪の毛を掴み、「売春婦」「民衆にたかる寄生虫」と罵詈を浴びせる。彼女はひるまず言い返す。

 お前たち中国人こそ嘘つきだ。他人の国を侵略し、国中のお寺を全部破壊したあげく、お経も読ませないじゃないか。お前たちが宗教の自由を与えると言ったから、私はそれを信じて尼僧になり、仏教を修めようと思ったのだ。僧侶はこの国では自分で自分の生活のためには稼がない。その代わりに、民衆が犠牲になった時、真っ先に民衆のために闘うのだ。それがこの国の僧侶の務めなのだ。*12


以下えげつない描写になるが、避けずに転写してみる。

 私の言葉を聞いた中国人婦人警官はすごい顔で睨みつけ、“やれ!”とチベット婦人警官に命令しました。
 彼女たちは私を押し倒し、足の縛めを解き、両足を二人がかりで開かせ、一人が電気ショック棒を私の膣にむりやりねじ込みました。激痛が走ったとたん、もっと激しいショックが体中を襲い、心臓が口から飛び出すかとおもいました。
 電気棒はもともと彼らが家畜を追うために使っている道具で、どんな家畜でもそれを体に当てられただけでとび上がり、いうままになってしまうのです。
 私は、声を出すまいと歯が折れるほど歯を食いしばりまいした。衝撃で声を出す余裕もなく、弓なりに身をそらし、息もできない状態でした。それを何度も何度も繰り返すのです。
 その後で、私を四つん這いにさせ、長い警棒を私のお尻の穴にねじ込むのです。熱い血がお尻を伝わって流れるのを私は感じました。でも最後まで悲鳴を上げませんでした。
すると今度は、お尻に突っ込んでいた棒を引き抜き、それを私の口の中にねじ込みのどの奥まで突き刺し、ぐりぐりこね回すのです。私は何度も吐きました。*13

そんな拷問が繰り返えされた。


 口に出せないほどの出来事を冷静に話しつづける彼女に対し、山際は次のようにコメントする。

 仏の国を守るために彼女は一身を捧げている。その純粋さ。だれをも傷つけず、自分が傷つけられることによって、自分も、愛する祖国と人びとを守り抜こうとしている。その懸命さが、彼女の魂の叫びに込められているのだ。私は信じることができる、と思った。*14

 *15


このような性的暴行について次のサイトでは下記のように簡単にまとめている。

 性的暴行は、チベットの収容所で行われたもっとも野蛮な拷問のうちのひとつである。これは主に、独立運動を支持した無防備の尼僧の信仰と精神を打ち砕くことを目的として行われる。
 棒や電気警棒が膣や肛門に挿入され、それは多大な苦痛をともない、腎臓の傷害や精神的トラウマといった不治の傷害を残す。
TCHRD(チベット人権・民主センター)1999年発行
http://www.tibethouse.jp/human_rights/human28.html


テンジンさんの話は、20年以上前のできごとである。それ以後もひどい拷問などが大規模に行われ続けたのかどうか、は私は分からない。

 2008年3月16日、ンガバのチベット人が僧侶も一般人も平和的抗議活動に立ちあがり、軍と警察の血の粛清を受けた時のもの。当時、銃撃されて射殺されたのは僧侶、学生、牧畜民三十数人で、妊娠中の女性や5歳の幼児、16歳の女性ルンドゥプ・ツォも含まれていた。
http://blog.livedoor.jp/rftibet/archives/51735733.html

4年前には上のようなことがあったわけであり、同質の絶望的情況が20年以上続いたということなのだろう。
 長期に渡る絶望的情況という歴史のなかで、去年からの連続焼身自殺(供犠)という事件が起こったのだということ。
そう考えないと、去年からの問題は理解できない。そして、そのような突拍子もない事件でもないと、チベットの悲惨に目をむけようとしない(先進国市民の)人々の無関心にも問題がある。


そのように私は思いました。

*1:何も知らない私が断言するのもおかしいが。間違っていたらご指摘ください。

*2:それらにも関わらず、パレスチナ人にとって状況が好転してはいないが。

*3:今はラマ教とは言わずチベット仏教と言う、ふつう。http://kotobank.jp/word/%E3%83%81%E3%83%99%E3%83%83%E3%83%88%E5%95%8F%E9%A1%8C 

*4:この本の概要→http://blog.goo.ne.jp/higa58/e/54a289fca48d5f97b6e3c54acba8a1ca 

*5:p123

*6:1987年3月。ラサのモンラム大祭の事かな。http://www.actiblog.com/amalags/54537 

*7:p125

*8:p134

*9:p135

*10:p136

*11:p138

*12:p139

*13:p140

*14:p141

*15:仏教的な側面も含めた紹介は→を参照のこと。http://d.hatena.ne.jp/uchikoyoga/20090502