松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

いま守るべき価値とは?

2012/02/25 12:11 研幾堂さま

「諸学派は、自分たちのこしらえた蜘蛛の巣が破壊される時には、公衆が危険にさらされるといってわめきたてるが、しかし公衆はそうした蜘蛛の巣に注意を払ったことは少しもなく、したがってそれが破壊されてもなんら痛痒を感じないのである。カントp178[啓蒙とは何か・岩波文庫]」

しかしながら、「カントは、これまでしばしば攻撃にさらされながら何世紀にもわたって持ち堪え、近代まで持続したところのこの全機構を、自分が実際に解体したのだ、ということを理解していなかった。」とアレントは言います。
キリスト教的伝統的共同体的価値はすべて批判されじきに力を失います。


橋下とカントは意外にも、かなり近いようにも思えます。
「いまここにあるに過ぎないのにその重力を権利として主張してるところの全機構」が前提としている常識のうち少なくない部分について、あっさり削除した方が良い。この命題は間違ってないかもしれない。
したがって、いまこそ、近代の完成の時期として、守るべき価値とは何なのか、守らなくても良い価値とは何か、を考えはっきりさせていく必要があるのです。


私が提示したのは、マイナーでかつ理解されにくいベクトルです。
法律が行政組織を通じて行使する〈抵抗力〉です。
目的を遂行する為に、障害となるものが市民であるなら、市民の権利を尊重するために時間を消費しなければならない、とするものです。
デュー・プロセス・オブ・ロー。
これが果たしてそれほど大事なものなのか。 私はけっこう大事だと思う。

公務員を罷免する権利

2012/02/25 12:35

行政職員が、どんな政治信条を持ち、どんな権利実現の行動(例えば労働組合)をしているか、またそういう政治行動の中でどんなコネクションを構築しているか、そして更に個別的に、政治家、企業の誰と会い、どんな会話をしたか、これらについて、行政的決定に関係する限りのものは、すべて記録を残し、公開されていておかしくない、そのように思っています。

国家にこのような事を知る権利を持たせて可、というのは間違いだ。

「第15条 公務員を選定し、及びこれを罷免することは、国民固有の権利である。」と憲法にあります。罷免させるかどうか判断する為の材料を提示することは彼らの義務だということもできますね。しかし実際には、原発大事故に責任がないとは言えない経済産業省の幹部ですらまったくの無傷で退職していきました。国の幹部から順番に情報公開、責任追求のルールを作っていくべきでしょう。
市長の専横のために一般公務員を萎縮させる政策を肯定する必要はありません。