松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

大肯定の思想

「たかしズム」さま
メールありがとうございます。
たかしさま、知り合いでもないのに突然画像使用されていただき大変ありがとうございました。


直リンクは今、外させていただきました。
「それでいいのだ」画像を「はてな」の方に保存しそちから表示させるようにしました。すみませんでした。
これにこりずにどうかこれからもよろしくお願いします。


これほどの事態になってもなお、多くの人が「東電批判」「反原発」に踏みきれずにいます。電気の3割とかが原発と聞かされるとなくせないな、と思ってしまうのでしょうね。その時にこの「これでいいのだ!」はとても強力であると思います。ややこしいことを一挙に断ち切る力を持っている。
考えるにこれは、禅・仏教の大肯定の思想に通じるものがあると思ったりします。
野原燐

「それでいいのだ」といっても、何を肯定するのかは問題だ。今の日本のように、保安院・東電が原発行政をリードしていく体制を変えないことを肯定すべきなのか?
それは違うだろう。


「大死一番、絶後蘇生」なんてことを言うらしいが、何を否定し何を肯定するのか。おそらくつまらないことにこだわってしまいマズくなるといったドツボな関係性を一旦全否定する。それは決してやけっぱちではなく、そうである自己を肯定していいのだ。そしてリセット後再度生き始めるが、模索し反復し関係するうちに以前と同じようなことをしていることに気づくだろう。しかし、そうである自己を肯定していいのだ。全否定をした事によって何かが確実に変わっているのだから。
こんな感じかなと考えてみた。(4/11)