松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

王力雄先生を囲む大阪読者の会

王力雄先生を囲む大阪読者の会

日時:3月13日(日)17時開場、17時30分開会
 プログラム:王力雄先生の講演(進行、通訳・劉燕子)
       質疑応答
       歓談と会食

場所:トロワ・テロワール  大阪市福島区海老江5−1−8−2F
 06−6453−5195
 ・阪神野田駅から徒歩2分。改札を出て右、関西アーバン銀行の角を右、国道2号線を神戸方面に歩き、ナリス化粧品のビルを過ぎ、焼き鳥「吉鳥」の上(2階)
 ・地下鉄千日前線野田阪神駅とJR東西線から徒歩2分。いずれも2番出口から地上に出て、同じく国道2号線を神戸方面に歩き、ナリス化粧品のビルを過ぎ、焼き鳥「吉鳥」の上(2階)

参加費:10,000円(王力雄著『私の西域、君の東トルキスタン』集広舎を含む)
*既にお持ちの方は7,000円。

連絡先:劉燕子    Yanzi@mta.biglobe.ne.jp

*なるべくお早めにご連絡ください。会場は25名までです。

王力雄氏は『私の西域、君の東トルキスタン』の著者。「新疆/ウイグル」問題を扱った本だ。新疆ウイグル自治区(しんきょうウイグルじちく)とは中華人民共和国の西端にある自治区である。新疆とウイグルの間に「/」を入れること、それは、同一の地域あるいは同じ場所に存在する政治や文化を漢民族あるいは中国経済社会の側から見ること(私の西域)、とそれとは反対側の視角、ウイグルという少数民族の側から見ること(君の東トルキスタン)との相反ということを意味する。
新疆ウイグル自治区は停滞する中国内陸部でもっとも経済成長率が高い地域らしい。しかしそういった視点だけで満足できるならわざわざ、著者はこのような長い題の本を書く必要はなかったわけである。実際地元のウイグル族の人の話を聞けば、彼らがこの「経済成長」なるものからいかに閉ざされているか分かる。人口においては新疆ウイグル自治区の漢族とそれ以外の比率はほぼ対等に近くなっている。しかし世界のとらえ方という点ではむしろ正反対に近い。この根源的な矛盾を抱えた世界は、まず外部のものの侵入を許さない。外部の者が侵入できるのは観光客が許される場所だけである。ウイグル人の本音が語られる場所には到達できない。
王力雄氏は漢族でありながら、すでにチベット探求などで得た問題意識を持ち、このような矛盾の核心に切り込んでいこうとする。そしてそのための旅行を始めるが、すぐに警察に捕まり獄に入れられてしまう。王力雄氏はそれでもウイグルを探求するという志を捨てず、何とかして獄から出、そしてまた何度もウイグルを訪問しウイグル人と真摯な討論をし、ついにこの本を書き上げる。
学者が資料を積み上げて書いた本とは全く違い、まさに全存在を賭けて始めて書かれ得た本だ。


その彼がもうすぐ日本に来ると言う。
関西でも会合が用意されている。(もちろん中国当局は現在、民主派人士である王力雄氏の動静にも極めて過敏になっていると考えられる。国境を越える自由がどこかで阻害される可能性はある。)


ウイグルというと、一見私たちとは無縁の遠い世界にも思える。しかし、そうではない。植民地主義からの脱却の困難さという課題は、皮肉にも21世紀になって普遍的なものになった。そうした課題をもっとも深く探求している文学者として、王力雄氏の肉声をぜひとも聞きたいと希望する、私たちは。

王力雄先生プロフィール

劉暁波氏の畏友で独立精神ある知識人。
 1953年、吉林省生まれ。中国の著名な作家、民主化や民族問題の研究者。1978年に「民主の壁」に参加。1984年、単独で黄河の源流から筏で1200キロを下る。1994年、中国最初のNGO「自然の友」を創設し、中心メンバーとして活動していたが、チベット仏教僧の死刑に疑義を呈したことから、「自然の友」は当局の圧力を受け、2003年に組織存続のため王力雄の除名となった。
 著書として、『漂流』(1988年)、『黄禍』(1991年)、『溶解権力』1998年、『天葬』(1998年)、『ダライ・ラマとの対話』(2002年)、『逓進民主制・中国的第三道路』(2006年)、『私の西域、君の東トルキスタン』(2007年、日本語版は2011年に集広舎から馬場裕之訳で出版。劉燕子監修・解説)。『聴説西蔵』(2009年、ツェリン・オーセルとの共著)など多数。
 王力雄の言論活動は内外で高く評価され、2002年、北京当代漢語研究所から「当代漢語貢献賞」、独立中文ペンクラブにより「自由創作賞」、2003年、ヒューマンライツウォッチから「ヘルマン・ハミット賞」、2009年、チベットのための国際委員会より「真理の光賞」などを受賞。


 2008年、ラサを中心に起きた流血の「3・14事件」に際して、畏友の劉暁波たちとともに「中国知識人有志のチベット情勢処理に関する十二の意見」を発表し、「善意、平和、非暴力の原則に従って民族紛争を適切に処理することを希望する」と表明。前記「真理の光賞」の授賞式では、この「十二の意見」署名者を代表して受賞に臨み、受賞講演では「〇八憲章」起草の中心的存在で、その発表直前に拘束された劉暁波の状況について訴えた。
2010年5月、王力雄氏は中国の一般市民とダライ・ラマ14世がネットを通して直接対話することを実現させ、その内容をツィッターで配信した。ユーザーは1万人以上にのぼり、とても画期的なとこであった。さらに、2011年1月4日、ダライ・ラマ14世と中国有識者(主に人権派弁護士)によるネットを使ったテレビ会議を実現させた。これにより顔と顔を直接合わせて活発に議論ができ、お互いにチベット問題を非暴力で平和的に解決しようとする歩みがさらに一歩進んだ。
 また、新疆ウイグル問題では、民族間の憎悪が出口のない状況に陥り、さらには「パレスチナ化」に至ろうとしていると警鐘を鳴らし、それが2009年にウルムチで起きた「7・5事件」に先がけていたことで、優れた先見性を持つ独立知識人であると評価された。
(劉燕子氏による)

劉暁波王力雄は日本の民主主義に注目している

劉燕子さんは次のように語る。

(1)私は、この十年間、国内で言論の自由のために苦闘している独立知識人や作家、及び海外亡命者と交流を深めてきました。彼(女)たちは日本の民主主義の歩みや模索、言論の状況、市民の関心や問題意識などにとても注目しています。かつて宮崎滔天梅屋庄吉たちが、孫文を支援したという日本に対してとてもよい印象を持ち、期待しています。
 しかし、今の日本では、歴史認識に引け目を感じて中国の民主化には口出しすることをためらい、また、経済的な利害関係を優先し、観光客や少子化対策の留学生増加など功利的なことで中国を見たりする傾向が強いと言えます。このため、官も民も彼(女)たちに関心を向けていません。


(2)王力雄・ツェリン・オーセルご夫妻は、劉暁波と同様に勇気と良識を備えた不屈の独立知識人です。オーセルさんは数々の国際的な賞を受けても、パスポートが取得できず、出国さえできません(昨年は「勇敢なる作家」という賞を受けました)。
 王さんは日本の民主主義にかねてから注目してきました。この機会に日本の知識人や市民と有意義な交流ができることをとても期待しています。私は微力ながら、少しでも王さんの期待に応えようと努力してます。
 中国の良識ある独立知識人の声を直接日本に知らせることは、極めて重要かつ必要なことです。
 また、中国が事実上の一党独裁体制にあって、過度の民族主義愛国主義が宣伝される現状が改革され、民主化に向かうことは、日本の平和と民主にとっても密接に関連しています。王さんはオーセルさんともども中国の将来の鍵となる人物です。是非ご注目ください。
 実は劉暁波さんも日本の民主主義に関心を向け、来日などが話題になりました。そして、私なりに大学や基金会などについて考えましたが、何も具体化できないうちに投獄されてしまいました。とても残念でなりません。ですから王力雄さんの来日は是非とも実現させたいと思っております。でも、私だけでは何もできません。是非ともお力添えをお願いします。

情況の緊迫のなかでの王力

 王力雄さんと交わす緊急のメールや電話で状況の厳しさが伝わってきました。最近の中東における民主化の動きを、中国政府も神経をとがらせ、一部の人権派弁護士、独立精神ある知識人、市民運動家の監視を強めています。今までオーセルさん・王さんご夫妻にとって、威嚇やいやがらせは日常茶飯事ですが、それがさらに強まっています。


 それにも関わらず、王さんは最大限に努力して来日しようとしていますが、3月という時期をもしかしたら延期するようになるかもしれません。王さんもまた出国できなくなる可能性もあります。王さんは、綿密な計画を立てる日本人にとってとても迷惑をかけることで心苦しいのですが、これが中国の実情で、その中でも全力で努力すると言っております。

2月21日の段階で、劉燕子さんはこう書いていた。それ以後も情況は「悪化」していることの一端はこのブログでも伝えている。
それでも。