松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

冉雲飛さんの文章

について、sinpenzakkiさん(ブログ おもいつくまま)が熱心に紹介されている。日本語訳は下記の3つ。


http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/7c065d6f7a2f11831006d61f716a2728
冉雲飛:中国はなぜ悪者扱いされやすいのか 08-08-11


http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/4c1c57ce49848c908c0e26162c15c6ce
冉雲飛:至るところ愛国主義のポーズ 08-04-28


http://blog.goo.ne.jp/sinpenzakki/e/da533f0d8530b097631c224572fc6fec
冉雲飛:国が君を「愛」し殺しても、君は国を愛せるか 08-04-26


いずれも読み応えのある文章だ。ここでは紹介の意味で、一節だけ抜書しておく。全文を読んで欲しい。上の3つの文章からそれぞれ一節だけ抜いた。

イギリスの作家キップリングはかつて「東洋は東洋、西洋は西洋で、両者は永遠に出会うことはない」と言った。キップリングは断定しすぎだろう、出会うことは出会うのであり、どう出会うか、出会いをどう処理するか、それが東西問題のありようだ。

反日デモは演じられた。(略)私は日本を批判するのが悪いというのではない。(略)そうではなく、毎回このような「災難」のたびに、彼らは民族的憎悪の感情を扇動することに成功し、国民の民生に対する視線をそらさせ、当局のでたらめな政務のもたらした危機を解消し、党派利益の強化を達成している。

フランクリンは、「自由があるところが私の祖国だ」と言っている。これは共産党が見たら、彼らが民主を「愛」し殺すのに大きな障害となるので、このような言論には漢姦言論のレッテルが貼られる。そうするとフランクリンというアメリカの売国奴は漢姦の精神的指導者ということになる。


http://zh.wikipedia.org/zh-tw/%E5%86%89%E4%BA%91%E9%A3%9E からもう一枚、冉雲飛の写真を。