松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

金時鐘の詩集『失くした季節』から1

金時鐘の詩集『失くした季節』*1について何としても少し文章を書いておきたいと思う。

最初の詩「村」

紹介として冒頭部分を引用する。

自然は安らぐ
といった君の言葉は改めなくてはならない。
しずけさに埋もれたことのある人なら
いかに重いものが自然であるかを知っている。

主語として自然が取り上げられ、重い/干からび/黙り/深い憂愁/豊かで無口/闇より深いといった言葉で繰り返し、反論が行われる。
イノセントなもの、私たちが無条件で頼り回帰しうる場所 としての自然の否定である。


ただこの詩には顕著ではないが、彼の詩には日本戦前の叙情詩のスタイル(ドライブ感)があるのだ。この詩集では意図的に出している。スタイルと主張の背反、もちろん意識してやっていることだ。


ところで「村」という一語で、1950年代の「村」をテーマにした詩の大群をどどっと思い出す。1970年ごろもひどく流行っていたのだ。夏、誰もいない静寂の村、銃口の光、政治的にも表現的にも追い詰められ主体の瀕死を、詩として歌い上げたもの、だっただろうか。

ナイルの照り返しに干からびながらも
なお黙りこくっているスフィンクスのように

というところで、伊藤静雄「わがひとに與ふる哀歌」を思い出す。山村工作隊の十年ほど前、伊藤静雄は「殆ど死した湖の一面」を歌った。

無縁のひとはたとへ
鳥々は恒(つね)に変らず鳴き
草木の囁きは時をわかたずとするとも
http://kikuzu.tumblr.com/post/942300346

 と静雄は言う。(皆さんが言うところの)自然の美しさを否定する点では時鐘と共通する。ただ静雄は「切に希はれた太陽をして/殆ど死した湖の一面に遍照さするのに」を至上とする。「切に希はれた太陽」って何のことか分からないが瀕死の天皇制みたいなものかもしれない。自己意識の世界化という美学である。

別の家に行く
やはり窓もない戸口もない
みると声をたてる何の姿もなく
異様な色にかがやく村に道は消えようとする
黒田喜夫「空想のゲリラ」

50年代の「村」詩の世界の構造は伊藤静雄のそれにかなり近い。自己意識の世界化という美学において共通していると言っておくことができるだろう。


自然、美しい自然、「美しさ」を極限まで抽象化し無に近いものとすることで支配を手に入れる伊藤静雄、その逆像としての50年代詩、すべての方法が試みられた後に、金はどうやって詩を作って行くのか。

居着こうにも居着けなかった人と
そこでしかつなぎようがない命との間で
自然はつねに豊かで無口だ。*2

自然は生活に追われる大衆のものである、詩人のものではないと詩人は言う。


自己意識の世界化という美学に対し、金時鐘の詩はむしろ「自然学」を指向していると言えよう。


「一直線になぜ蜥蜴が塀をよじり」、強い太陽に照らされながら蜥蜴がその生命力を減じないように、言葉の少し手前で持続する自然学。金時鐘の自然学は決して私たちを慰安しない。

自然はつねに豊かで無口だ

この詩は、9行と11行の2連からなる。
1連は、
    自然は安らぐ
    といった君の言葉は改めなくてはならない。
という2行から始まり、
2連は、
    自然は美しい、という
    行きずりの旅ごころは押しのけねばならない。
という2行から始まる。


9行と11行の2連からなるのだが、9行と9行の2連と終結部2行と考えることもできる。
9行はそれぞれ、冒頭に自然は安らぐ、自然は美しいというテーゼが掲げられ、残りの8行はそれへの反論となっている。
上に書いた、イノセントなもの、私たちが無条件で頼り回帰しうる場所としての自然の否定、というのは違っているような気がしてきた。


著者の後書きではこう書かれている。「日本では特にそうだが、叙情詩といわれるものの多くは自然賛美を基調にしてうたわれてきた。いわば「自然」は、自己の心情が投影されたものなのだ。「叙情」という詩の律動(リズム)もそこで流露する情感を指していわれるのが普通で、叙情と情感の間にはいささかのへだたりもない。情感イコール叙情なのである。*3
金時鐘は(植民地済州島に住んでいたので)少年期にこのような日本の「叙情」詩にどっぷり浸かった体験を持つ。戦後とは政治的に植民地主義の残滓、帝国主義と戦うことであったと同様、表現においては「日本叙情詩」との戦いでなければならなかった。


ところで、「自然は安らぐ」に対する反論として、「しずけさに埋もれたことのある人なら/いかに重いものが自然であるかを知っている。」というのはかなり奇妙である。
自然は重いものである、誰にも押しのけようがない深い憂愁である。自然は卑小化され、憂愁=静寂がそれを虜にしているとされる。このような自然認識はまったく一般的ではない。
例えば上に引用した伊藤静雄の美学といったものにやられてしまった人が、その立場で反論していると考えると納得がいく。ということは、金時鐘は戦前叙情美学と60年戦ったが破れた、ということだろうか。
そうではない。それは1連と2連が併置されているので主張も同じだと読んでしまう誤読である。


2連では、行きずりの旅ごころが否定され「居着こうにも居着けなかった人と/ そこでしかつなぎようがない命との間で/自然はつねに豊かで無口だ。」とする。「豊かで無口」という形容は普通に考えると静寂に意味が近い。
「喧騒に明け暮れた人になら/知っているのだ静寂の境がいかに遠いかを。」居着けなかった人と出て行けなかった人(13/14行)イコール「喧騒に明け暮れた人」と読める。彼らにとっては静寂の境はとても遠いものである。
「一直線に蜥蜴が塀をよじり/蝉が千年の耳鳴りをひびかせている」なぜかとい言葉はむしろ不要ではないだろうか。蜥蜴や蝉が懸命に不可避的に忙しげに活動し続けるのと、居着けなかった人と出て行けなかった人が喧騒に明け暮れざるをえないのはほとんど同じことだ。庶民は自然を見て裏側に自己との同質性を感受する、これがつねに豊かで無口である自然である。


「自然は安らぐ、自然は美しい」への批判がテーマなので、イノセントなもの、私たちが無条件で頼り回帰しうる場所としての自然の否定とも考えられる。しかしこの詩の思想は見かけほど単純ではないのだ。
しずけさに埋もれたことのある人、つまり戦前叙情詩にどっぷり浸かった金時鐘にとって、まず、誰にも押しのけようがない深い憂愁であるのだ、自然とは。
「自然は美しい」と言っても憂愁、静寂であるから美しいのかもしれない(微妙)。
金時鐘は喧騒に明け暮れた人として、知っている、豊かで無口な自然を。蜥蜴や蝉の細部から何かを感じるならたぶん分かる。
しかしその本質はやはり「無口」であり、詩でしか表現できないものなのだ。


「出払った村で/いよいよ静寂は闇より深いのだ。」村すら消滅させる現代日本で「豊かで無口な」自然は、見出しがたい。闇より深い静寂が支配するばかりだ。*4
(9/4朝追加)

詩「村」全文

    村


自然は安らぐ
といった君の言葉は改めなくてはならない。
しずけさに埋もれたことのある人なら
いかに重いものが自然であるかを知っている。
ナイルの照り返しに干からびながらも
なお黙りこくっているスフィンクスのように
それは誰にも押しのけようがない
深い憂愁となってのしかかっている。
取り付いた静寂には自然とても虜なのだ。


自然は美しい、という
行きずりの旅ごころは押しのけねばならない。
居着こうにも居着けなかった人と
そこでしかつなぎようがない命との間で
自然はつねに豊かで無口だ。
喧騒に明け暮れた人になら
知っているのだ静寂の境がいかに遠いかを。
一直線になぜ蜥蜴が塀をよじり
蝉がなぜ千年の耳鳴りをひびかせているかも。
出払った村で
いよいよ静寂は闇より深いのだ。
        金時鐘 isbn:9784894347281 藤原書店2010年

*1:isbn:9784894347281 藤原書店2010年

*2:「村」l13-14

*3:p176

*4:「おかあさん革命は遠く去りました」(黒田喜夫)という詩行を思い出しても良い。