松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

官僚支配打破とか言っても

官僚支配の何をどう変革するのか、語れる人はいない。
日本には膨大詳細過ぎる法律がある。しかしそれだけでは現実は動いていないのであってさらに膨大詳細な法令・条例などがある。さらに、それだけでは現実は動いていないのであってさらに膨大詳細な通達や事務処理要綱とかそうした行政の内部規則がある。詳細については実際にその仕事をやっている人とその相手方しか分からない。税理士や行政書士も一部の領域以外は分からない。*1
どこにポイントがあるのか皆目分からないのだが、それを解明する手がかりはやはり法律の成立過程に注目することである。これには表と裏がある。表とは法律を制定した国会での質疑応答である。これは公開されておりネットで全部読める。*2
裏が、ここで取り上げられた「省庁間の覚書」である。

 経産省出身の石川和男氏(現東京財団上席研究員)は、環境基本法(93年成立)の制定過程で旧通産省資源エネルギー庁と旧環境庁の局長レベルで交わされた覚書という名の密約について明かした。(その1より)

20年近く前の「旧通産省資源エネルギー庁と旧環境庁の局長レベルで交わされた覚書」という文書が、いまも日本の政治のあり方に大きく影響を及ぼしているという。
この文書は公文書なのか、秘密文書なのか、その性格は明確でない。省庁の権限は法律の成立によってその委任によって生まれるものであって、それ以外には何もない。あるのは省庁職員の縄張り意識だけである。しかし実際はそうではなく「省益」などという意味不明の実体によって動いたり動かされたりするのが、霞ヶ関というものであるようだ。
 
 
下記福井秀夫氏が述べる「公務の過程で作成された文書や得られた情報は、官僚の私物ではなく公共の財産だ。」という正論に、行政をどれだけ近づけることができるか、今年の国会にもかかっている。しかしそれ以上に国政のどのような点に注目し意見を言っていくかという市民やマスコミの感覚にもかかっているのだ。


「ガバナンス・国を動かす:第2部・澱む情報/3」は、あまり取り上げられないこの問題に注目した貴重な記事と思われます。
その1)http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100226ddm001010017000c.html
その2)http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100226ddm002010039000c.html
その3)http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100226ddm002010100000c.html(下記全文引用)

「公益より省益」官の本音  政策研究大学院大学教授・福井秀夫
 
 省庁間の覚書は、法案作りや予算の編成過程で結ばれる密約だ。国民に見えないところで、公益ではなく互いの省益を守ろうとする官僚の本音が覚書に込められている。
 
 公務の過程で作成された文書や得られた情報は、官僚の私物ではなく公共の財産だ。過去の覚書が公開されれば、従来の政策の検証が可能になる。天下りポストなど隠れた利権の消滅にもなり、行政プロセスの透明性、公正性が確保される。
 
 だが、鳩山内閣がいくら官僚のモラルに訴えても、組織の利益に反する情報を自発的に出すはずがない。公の利益にかかわる意思決定をした時は文書化を義務づけ、既存文書も含めて公開義務を負わせる法整備が欠かせない。義務を怠った場合は、公務員個人を処分したり、刑事罰を科せるようにすべきだ。
 
 政策立案の段階から、前提となる情報はすべてホームページに掲載し、国民が同時進行で妥当性をチェックできる仕組み作りも求められる。
(その3)
毎日新聞 2010年2月26日 東京朝刊

*1:大事なことが法律で決定されているならよいのだが、負担金や税金がほとんど免除されるかどうかの微妙な線引きは、たいてい通達レベルにある。小役人の歓心をくすぐらないといけないようにできているのか? 言っておくが日本の末端公務員はけっこうましな人が多いと思う、たぶん。ルサンチマンに基づく公務員叩きは逆効果である。しかしシステムに問題ないわけではない。

*2:と思う