松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「閔妃(ミンピ)暗殺」事件の語り方

今朝の毎日新聞に次のような文があった。

 Q 日韓併合や関連する事件を巡って、今も意見や主張の違いがあるそうだね。

 A 例えば、日韓併合への動きを決定的なものにする契機となった事件に、1895年の「閔妃(ミンピ)暗殺」事件があります。李朝内部の親露派である閔妃が殺され、それ以降、李朝は急速に日本に近づいていきました。実行犯が日本人か、韓国人かなどを巡って、小説やノンフィクション、テレビドラマなどで、今もさまざまな意見や主張が出されています。

 Q 真実の解明は、やはり難しいのかな。

 A 決定的な証拠はないようです。
回答・大澤文護
http://mainichi.jp/select/wadai/naruhodori/news/20100212ddm003070019000c.html

「質問なるほドリ」という初心者向けみたいなコーナーでの記載。これはひどい!許容範囲外だ、と私は思った。

忘れ得ぬ人々:日韓併合100年/1 農業の偉人、父は国賊
(略)
 禹長春の父範善(ボムソン)が歴史の舞台に登場するのは、1895年10月。日清戦争に勝った日本は、朝鮮半島での権益拡大を狙ってロシアとの勢力争いを繰り広げていた。この時、親露派の閔妃が宮廷内で暗殺される。範善は、他の親日派軍人と共に事件に加わったのだ。

 事件は駐韓公使三浦梧楼らが計画したとされ、三浦を含めた日本人56人が日本で起訴されたが、証拠不十分などで全員が免訴・無罪となった。その後、日本は韓国への影響力を増大させ、植民地化への動きを強めていく。

 事件後、範善は仲間と日本に逃れた。
【ソウル西脇真一】
http://mainichi.jp/select/world/news/20100212ddm007030074000c.html

偶然同日付けで上のような記事もあった。
「証拠不十分などで全員が免訴・無罪となった。」が、首謀者が三浦を含めた日本人たちだったと現在の歴史学は明らかにしている、と書くべきであろう。
「決定的な証拠はないようです。」などという腑抜けの思想性の上には、人権侵害許容以外のどんな歴史も築けない。


先日の日中歴史共同研究については、日本側委員の意見が右寄りすぎと感じた。*1これについては、承知の上で人選がなされたようである。

 ある日本側関係者は「中国史専門の学者が書くと、中国寄りの内容になりかねない。結果的に保守を自任する政治学者の多用につながった」と内情を語る。実際、有識者の人選次第では、保守派が忌み嫌う「自虐史観」が前面に押し出された研究内容になった可能性もある。
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20100210ddm002010071000c.html

天安門事件イデオロギー的にしか批判できない人士は、中国国内に影響を与えることもできない。ナショナリスト同士は常にそうした共通の利害を持つだろう。


そうではないはずの「質問なるほドリ」の偏向には心が痛む。

「日中歴史共同研究」について〜委員人選の偏り

についての記事にリンクしておきます。
http://sekakata.exblog.jp/6647884/
(2/14追記)

*1:例: また、日本側は98年の江沢民国家主席の訪日について「言動は多くの日本人の失望と反発を招いた」「歴史認識について対日批判を展開したからである」と指摘した。