松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

安重根/伊藤博文

hokke-ookamiさんの下記記事は、安重根に殺された伊藤博文が若いころテロリストだった(つまり安重根の行為と重ね合わすことが可能)と、考えてみると言うものでした。

ハルビン駅から物語を導入してみてはどうだろうか。駅ならば人数が少なくても群集を描写でき、制作費が安くても相応に豪華な雰囲気が出ることだろう。
そして群集に紛れた安重根が凶弾をはなつ。倒れる伊藤博文と、捕縛される安重根。生死の境界を一時さまよう伊藤博文の記憶は、走馬灯のように過去へさかのぼる。
http://d.hatena.ne.jp/hokke-ookami/20091031/1257032565

それに私が次のようにブクマした。

「若いころに暗殺を行っていた者が初代総理大臣となったことは、近代国家の始まりとして問題だった」近代国家は独立戦争か市民革命で作られる。そのさきがけのテロはむしろ必然。「問題」と感じる感受性がおかしい。(野原)
2009/11/01

id:kokogiko id:noharra『近代国家は独立戦争か市民革命で作られる』しかし明治維新はどちらでもない罠/批判とかじゃなくて指摘だけ 2009/11/01

kokogikoさんからの指摘。
明治維新独立戦争ではないし、典型的な市民革命でもない。しかし、戦後日本は戦前日本を継承した近代国家である。権威を継承していることの端的な証拠は、紙幣に伊藤博文を採用していることである。国家において、権威として尊敬されるべき人物が、若き日にはテロリストだった、ということを私は指摘している。
明治維新がどの程度市民革命と言えるのか、という講座派以来の論争は直接関係ないと思う。


野原は「安重根アレント」という文章を書いたのだが、我ながら説得力がない文章だ。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20091028#p1
世界の根拠を発見してしまう形而上学者に対して、世界の根拠を世界のうちで行動において発見してしまうのがテロリストなのかなと、思ったわけなのでした。