松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

祝!真字万葉集電子テキスト完成

久遠の絆ファンサイト はてなid:kuonkizuna 浦木裕)さんからTBいただいた。 - 真字万葉集『 真字万葉集 真字万葉集電子テキストの製作、完成致しました。 http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/mana.htm
とのこと。万葉集全20巻全4516首の本来の姿、真字(まな、万葉仮名)での表記(と漢字かな交じり)をwebで誰にでもすぐ読めるものにしたもの。
サンプルとして最後の歌を掲げる。

新 年乃始乃 波都波流能 家布敷流由伎能 伊夜之家餘其騰

 新(あらた)しき 年初(としのはじめ)の 初春(はつはる)の 今日降雪(けふふるゆき)の 彌(いや)しけ吉事(よごと)
大伴家持 4516

「いやさか」という語に近い「彌(いや)しけ」という言葉がある。しかしその言葉は「伊夜之家」と表記されていたわけである。本当に「いやしけ」と読んだのかどうかは実は分からないとも言えるわけである。日本語の読める中国人なら全く違った7音を当てそうだ。ただ素人の気まぐれな思いつきなどは無意味といいうる学の蓄積が存在しているのでしょうが。
今回の「いやさかえ」騒動は、近代日本において形成されてきた常識(伝統というフィクション)の崩壊を明らかにしたものでした。
万葉集はどう読まれてきたかといえば、真淵の読み、子規の読みのうちの分かり易いレベルをとらえて常識化してきたにすぎないだろう。*1

 真淵は歌につきては近世の達見家にて、万葉崇拝のところ抔(など)当時にありて実にえらいものに有之候へども、生(せい)らの眼より見ればなほ万葉をも褒(ほ)め足らぬ心地(ここち)致(いたし)候。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000305/files/2533_16281.html

異貌であることが万葉の魅力の半ばである。わたしのように全く無知なものでもそれに近づくことができる機会を与えてくれた、この完成を喜びたい。


さて、「いやしけ吉事(よごと)」ですが。雪がどんどん降っている形容ですから、「いや重(し)け」(ますます重なるように)と解釈しましょうか。(参考http://bin.ti-da.net/e2494153.html
「いや」を 白川静の「字訓」で引くと、 いや【弥(彌)】という言葉がある。

「いよ」ともいう。「いよいよ」の語幹。「や」ともいう。
接頭語として体言に直接つづき、また「いや〜に」慣用句的な使いかたがある。数詞の「よ」、その母音交替系の「や」も同系の語。ことが限りなく展開することをいう。「いやはて」は最後の意である。

文例として、

葦原の密(しけ)しき小屋(をや)に菅畳(すがたたみ)伊夜(いや)さや敷(し)きて我が二人寝し

神武天皇の歌に続いて*2、万葉の四つの歌があげられている。(846,211,617,316)


とにかく、「弥(いや)」は、「いよいよ」「ますます」の意。
http://www.geocities.jp/growth_dic/honbun/zoukan-4c6f.html
それとは別の中国語である「彌(弥)」について、白川は、「爾は胸一面意文飾を加えた形で、婦人の文身(ぶんしん)の姿」とし、「弓を弾(ひ)き玉を加えて魂振りする儀礼を示す」「これによって「彌生」を求めるのであろう」「これによって厄を止め、長久なることを得る」とする。

 可須美多都 那我岐波流卑乎 可謝勢例杼 伊野那都可子岐 烏梅能波那可毛 小野氏淡理。

 霞立(かすみた)つ 長(なが)き春日(はるひ)を 髮插(かざ)せれど 彌懷(いやなつか)しき 梅花(うめのはな)かも 
http://miko.org/~uraki/kuon/furu/text/waka/manyou/m05.htm#0815

万葉集の歌のひとつを「真字万葉集」から引いておきます。
ただこのふたつの歌だけについては、「いや」は「ますます」でもかならずしもないようにも思われ、「いよいよ」「ますます」という意義は中国語からの影響と考える余地はあるかもしれません。もちろん漢字(意味を含む)の影響なしの日本語など最初から存在していないわけですが。

*1:暴言にすぎないが

*2:しけしき、すが、いやさかしきとS音の反復が心地よい名歌