松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

日本文化を破壊しているのはどっち?

(1)

>10日の天皇・皇后両陛下のご成婚50年で、麻生首相は三権
の長を代表してのお祝いの言葉でまたもや失態を演じました。
繁栄を意味する「弥栄(いやさか)」を「いやさかえ」と言い間違えたのです。
>宮殿の「松の間」で両陛下の前に一歩進み出て、紙を見ずに祝辞を述べたのですが、
国のトップが国民の象徴に対してこれでは情けない限りです。
>歴史的な誤った日本語事例として残ってしまいました。
(投稿者 WEB多事争論編集委員 吉岡弘行

(2)

→「いやさかえ」であっているのでは?と指摘される。

歌舞伎の題名に「弥栄芝居賑(いやさかえしばいのにぎわい)」
http://www.asahi-net.or.jp/~rp9h-tkhs/kabu2005.htm

静岡県伊豆松崎町にある「弥栄(いやさかえ)神社」
http://www.town.matsuzaki.shizuoka.jp/FMPro?-db=m_kana.fp5&-lay=web&-format=p01e.html&kana_C=%82%a0&-max=all&-sortfield=NO&-findall

越中一宮 高瀬神社
http://www.takase.or.jp/wedding/detail.html
下ページの誓いの詞にハッキリ「弥栄(いやさかえ)」と書いてある

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1248832.html

確かにソースはあるのだが、これは(1)の方が正しい。
「「いやさかえ」であってる」は間違った意見だ。

麻生さんご自身のサイトでも「靖国に弥栄(いやさか)あれ」(参照)とあり、また、これは「万歳(ばんざい)」みたいな慣用句なので、「いやさかえ」と読んだのはやはりただのミスだったのではないか。
http://finalvent.cocolog-nifty.com/fareastblog/2009/04/post-8cb8.html

finalvent氏の感覚ではやはり、弥栄=(いやさか)が自然だとされている。

 田井の議論に戻ると、単純に「いやさか」を「弥尺」としている。意味も、よって、「とても長い」というだけになる。(同上)

と田井信之氏の議論をひき、「いやさか」という言葉に「弥栄」栄えるという字が当てられたので「栄」に意味が引きずられたことを暗示している。
弥栄=(いやさか)というのは、昭和の日本にとってはさほど珍しい言葉ではなく、特に戦争中にはひどくポピュラーな言葉だったのだろう。
ところが2ちゃんなどの現在の若者にとっては、弥栄というのは初めて見る言葉であり、(いやさか)でも(いやさかえ)でも等価である。そこで上記のような「ソース」を提示されるとすぐ「「いやさかえ」で合ってる」と納得してしまう。

こういう言葉があるから日本語はすばらしい!
http://toya-manabu.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-d8dc.html

と強調される近代天皇制のキーワード「弥栄」。国歌として強制される君が代とともに今後、強制されていくわけですね。