松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

システムと卵について

村上春樹は優れた文学者であり、〈卵〉という優れた喩を提出した。*1
卵とは二重の消極性によって規定されたそうした存在である。
ひとつは壊れやすさ。偉大なる壁、わたしたちの生を守るために不可欠な壁というもの、にぶつかりあっけなくこわれてしまう。
ひとつは可能性である。卵は普通のにわとりのたまごかもしれないし、恐竜のそれかもしれない。いまだ実現していない可能性の喩として卵はある。そして今だ卵が卵のままであるということは、孵化に必要な温みと時間をそれが得られなかったことを示す。卵は卵であるだけで、温みと時間の欠如、つまり愛の欠如をひりひりと告げているのだ。
卵の側に立つとは、言葉の側に立たないということであり、「テロとの戦い」に参加しないということである。
卵の側に立つとは、愛の欠如をひりひりと告げられるということである。60年に及ぶパレスチナ人民への不正が、どのような詭弁によってか、自然化され問題視されないそうした言説空間の中心であるエルサレム
世界を歪曲させる〈正義の神殿〉に招かれ春樹は演説した。その内容は世界の歪曲を正しく批判するものであった。卵の側に立つとは、言葉の側に立たないということであり、温みと時間の側に立つということである。
卵の側に立つとはヒューマニズムの立場ではない。ヒューマニズムとはヒューマニストであることの是認である。イスラエルで演説し安全に帰って来る主体の是認である。
卵の側に立つとは、主体ではなく主体の破壊という危機の側に立つということであり、ヒューマニストという自己を肯定することへの批判である。すでに打撃が加えられヒビが入っているがまだ死亡するに至っていない*2そうした存在のかたわらに立ち温みと時間をそれと共有する・・・そのような位相を立て、それの欠如として自己を認識することである。

 以上、徹頭徹尾、真剣に、自分に都合よく解釈してきました。文句がある人はいくらでもどうぞ。
http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090218

というmojimojiさんの路線の延長上で、さらに〈卵〉の喩を深く受け取ってみた。

*1:わたしは春樹無関心派で、どちらかいうと否定派に近いのですが、こういう物言いをしたためにtmsigmundさんに怒られてしまった。21日19.46

*2:だって数百万もいるんだもの