松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

オスロ合意とは最初から「合意」という言葉を

提供するためだけのものだったのか?

2. 1993年労働党政権イツハク・ラビン首相のイスラエル政府と、パレスチナ解放機構PLOが相互承認したパレスチナの暫定自治を段階的に進め、将来的には独立し二国家方式によって最終解決を図る方向性の確認「オスロ合意」(国連承認)が、今や殆ど破綻していること。
4. 2006年パレスチナ評議会選挙での合法的「民意」結果、大勝したハマスとその党派主張「オスロ合意・イスラエル国家の否認」を、これまでPLOの中心であったファタハ政府に肩入れしてきた「オスロ合意」を基調とする国際社会が容認しないこと。
http://d.hatena.ne.jp/hizzz/20090214#p2