松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

言わない権利がある

と思っている人がいるわけだが。オバマが味方についているから実際には言わない権利は保証される。

イスラエルの問題については何も言いたくない。
ガザ侵攻のニュースを見ていろいろと思うこともあるが、普通の日本人が日本語で何を言ってもまったく何の役にもたたないだろうという確信的な諦めが先にたつ。「あきらめたら負けだ」と思う人はいくらでもがんばってください。
http://blog.goo.ne.jp/kurokuragawa/e/f48cc067877abd243580c6911efb3ba4

「まったく何の役にもたたないだろうという確信的な諦めが先にたつ。」という文章は嘘を隠しているだろう。普通のブロガーは自分の発言に効力があるかどうかなんかを、書くか書かないかの基準にしたりしない。「何も言いたくない」という結論があってそれの言い訳のような文を書き足してみただけだろう。
「何も言いたくない。」と言っているひとに絡むのはあまり良くなからろう。
「政治感覚の優れた人」「政治が好きな人」「政治の苦手な人」という三分法は、かなりあざとい。ガザの問題は政治の問題だ、と自分の領域(文学だったりする)の外側に位置付けようとする言説が目立つ。本当にそうなら、いつものように一瞬気がついても気がつかないふりをして通り過ぎればよいのだ。つまりブログにとりあげなければ。1/27に「10の最も深刻な人道的危機」というリストを掲げておいたが、どんなに深刻でも遠くの国のそれに真剣に関わろうとするひとはごくわずかだ。*1 ガザはわたしの問題ではないとわざわざ書いてしまうことは、その反対を明かしている。


ガザは政治の問題でも倫理の問題でもない。単に認識の問題だ。凡人は善良過ぎるので、自分の範疇を越える認識はしないようにする。そうした善良さは捨て去るべきだ。

*1:わたし自身も。と気軽に注釈しておくわけにはいかない……