松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

情報伝達と権力関係

情報とは本来、主観的なものであり、伝達もまた然り(しかり)と著者は言う。

 ふーむ、なかなか良いことを言うじゃないか、と主観百%でコミュニケーション能力のない私は思った。でも主観的なものをどうやって伝達するのだろうか。意味のある(新しい)情報に対してたいてい聞き手は感受性を持たない。

 「意味」とは生物が生存する上で行う選択行為においてうまくいった経験であり、その記憶が次の選択に際し参照される。(略)
 ある者が感じ取った「意味」を他者に伝達しようとするとき、両者の間に師範と弟子のような「階層」関係があるならば、伝達には命令や服従、礼儀や期待といった「制約と拘束」が伴う。著者はこうした社会関係を「階層的自律コミュニケーション」と呼ぶ。
(以上 「続 基礎情報学」*1に対する松原隆一郎の書評より

 これだけの引用。

同性愛者であっても(そしてもちろん異性愛者であっても)、自分のセクシャリティを他人に押しつけてはならない。
http://d.hatena.ne.jp/amamako/20090124/1232743732

 このひとはイスラエル空爆テロリズムでないみたいな奇妙な認知の歪みを持ちながら気がついていないのではないか。デートに誘ったりホテルに誘ったりするのは、「自分のセクシャリティを他人に押しつける」ことではないのでしょうかね。最初は一方的に押し付けたんだけど、押しつけと感じられないようにうまくやれた、と。でもそれはイスラエルと同じことだ、と非モテの私は感じます。