松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「戦後教育が悪かった」論@中山成彬

9月25日、国交相に前日就任したばかりの中山成彬は、報道各社のインタビューで、所轄する成田空港問題について「ごね得というか戦後教育が悪かったと思いますが、公共の精神というか公のためにはある程度自分を犠牲にしてでも捨ててもというのがなくて、なかなか空港拡張もできなかった」(朝日新聞報道)と放言したという。断じて許せない!
http://kanjitsu-sanrizuka.cocolog-nifty.com/blog/2008/09/post-3f4f.html

 そもそも冨里空港案が3年にわたる冨里農民の怒りの声に破産し、1966年6月、成田空港案に行きついた佐藤政府が検討を開始し、何の地元への説明をすることもなく、公聴会や説明会といった一切の手続きもすることなく、わずか2週間で閣議決定をして、三里塚農民に一方的に「農地をよこせ」「出て行け」と「国策」を理由に突きつけてきたのはではないか! 佐藤栄作、日本政府のこのやり方自体が一切の元凶ではなかったのか。だからこそ政府自体が「ボタンの掛け違い」と言ったのではないのか。これのどこが「公共の精神」か! 冨里と違って三里塚の農民は開拓農民だから貧しいと機動隊の暴力と札束を投入して、43年間も脅し続けてきたのが何が「公」「公共の精神」か! 
(同上)

国交省の仕事は初めてでよく分からなかった。その後、事務方から、成田については歴史的な経緯について説明を受けた。昭和41年の閣議決定移行、十分に住民の理解を得ることなく建設を進めた。賛成派と反対派の運動が激化する中で過激派の介入を許し住民に迷惑をかけた。国としては円卓会議などで解決に努力してきた。空港と地域の共生の元に、平成22年3月には平行滑走路を北伸して2500メートルの滑走路になる。これらを踏まえて、昨日の発言は撤回した」中山成彬
http://sankei.jp.msn.com/politics/policy/080926/plc0809261257011-n1.htm

 札束と交換に土地を手放した人を批判するのが、「ごね得」批判である。考えてみるとそれは、札束と交換に土地を手放した人を批判し死んでも農地を手放さないとする「過激派」を支援する発言になる。過激派との緊張関係のなかでいわば札束を唯一の武器に地元の農地を買収するという仕事に苦労してきた国交省の下っ端役人に敵対することになる。