松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ちょっとのんきすぎるかも。

いま生きていることが「偽りの生」なら「真実の生」なんてものがどこかにあるのか、マイノリティだけが「偽りの生」を生きているわけじゃあるまい、というのはわからないじゃないけど、社会の暴力を個人の内面の問題として引き受けさせられている、という話への応答としては、ちょっとのんきすぎるかも。
http://www.yhlee.org/diary/?date=20080823#p01

 李怜香さんから、のid:noharra:20080823 への感想。
ちょっとニュアンスが違っていて「いま生きていることはどんな場合も「偽りの生」である」のでそうであるという前提で出発すべきだ、と思っているのです。

通名」といっても、決して仮の名ではなく、自分で選んだものでもない。これを「ハンドルネーム」になぞらえるのは、明らかに間違いだ。差別の象徴である通名を、ハンドルネームなんて軽いものになぞらえるのは許せん、という話ではなくて、筋自体がぜんぜん違うのである。

 抑圧構造=ネジレ 自体が幼いころから身に馴染んでしまったものが、通名であるということですね。
たしかに「しんどい」話である。で一見そうした「しんどい」情況を免れているかのような「ふつうの日本人」は果して本当に免れているのか。そうでもなかろう、とわたしは言いたいわけですが、特にわたしの生き方を提示できていない以上「ちょっとのんきすぎるかも」という感想しかいただけないのはしかたないですね。