松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

赤塚不二夫が死んで時代は暗転する!

保岡興治法相は、終身刑について「希望のない残酷な刑は日本の文化になじまない」と否定的考え方を示した。(毎日新聞8/3)
「日本は恥の文化を基礎として、潔く死をもって償うことを多くの国民が支持している」と死刑制度維持の理由を述べた。
多くの国民が殺すことを望んでいるのは単に野蛮な欲望に左右されているおぞましさにすぎない。問題は保岡氏が、死刑を「希望のない残酷な刑」とはみなしていないという点にある。「潔く死をもって償う」という主体的行為によって死刑囚のうちの何かが救われるのだ、とする宗教的信念がそこに存在するのだろう。すなわち人は日本人である限り、その人の意識如何(いかん)に関わらず二重の生を生きているのであって、つまり小さな個人としての生とそのずっと奥にある大きな日本人としての生の二つである。死刑囚は意識として反省していなくとも、国家によって聖なる死を与えられることにより最後に日本人としての共同体に復帰し永遠の生を与えられることになる。ヤスクニ・セオリーの完成態である。
赤塚不二夫が死んで日本は死刑囚すら包括する全体主義国家になった。