松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

偏差

 この詩を絵にかいてみるとすれば、使用する色彩が、ある系列にかたよってくる。
http://666999.info/matu/data/hukakutei.php#hukakutei

 かたよりとは何か?中央を措定せずにかたよりを語ることは可能か。存在−表現を開始しようとしている時点でかたよりを受け入れているといえる。詩が詩である時点でそしてその作者についてもわたしたちはあるかたよりを先入観として持ってしまっている。上でいうかたよりはそうではなく、絵にかいてみるという変換(翻訳)を経て明確に浮かび上がってきたかたよりの発見である。
 わたし(存在様式)が予め持っているかたよりは、対象化不可能であるかのように思われる。対象化というのが理性的な思考のプロセスである限りそれは正しい。しかし生きるとは変換(翻訳)であり結果として現象するかたよりは、予め持っているかたよりを十分に暗示する。