松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

フラグメンテ(断片)

フラグメンテという言葉がある。
英語の辞書を引くと、fragment かけら、断片、断章 とある。ついでに言うと、fragile こわれやすい と fragrance 香り の間にある。
フラグメンテというのは普通の文芸用語だと思っていたのだが、そうではないようだ。googleではわずか735ヒットでそれも過半がパソコン用語のフラクメンテーションである。


それでもgoogleはたいしたもので、フラグメンテは文芸用語だがむしろ戦前のものらしいと分かってきた。

 ノヴァーリスは二百年も昔のドイツの詩人だが、戦前の若者にとってノヴァーリスの「青い花」と「フラグメンテ」(断片集)は青春の象徴でさえあった。
http://www.saigyo.org/saigyo/html/issiki.html

 すべてのみえるものは、みえないものにさわっている
 きこえるものは、きこえないものにさわっている
 感じられるものは、感じられないものにさわっている
 おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。
ノヴァーリス

詩は詩によってのみ批評されうる。
(F.シュレーゲル)


ノヴァーリスとは誰か?*1

 ドイッチェ・ロマンティーク、とりわけノヴァーリス(Novaris 1772〜1801)にあっては、詩こそ現実そのもの、現実のトータルである。それは、純粋にして絶対的な現実である。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/gsle/85.kaisyakugakuhihan/syogakkan.html

絶対的なトータルという理念がありそれを基準にして語ろうとしてもそれ自身は語り得ない。しかし常識とかコミュニケーションとかは重視しないので、ある絶対のふととらえられたきらめきがこぼれ落ちるのを書き留める。〈絶対〉の詩人がフラクメンテという方法を採用した理由はそのようなものだったのかもしれない。

彼にとって創作、特に詩を紡ぐことは、内的および外的な理由による自然の探求にほかならず、その根底に自らのうちに流れる活発な詩的衝動―詩的精神(すなわち世界を生み出し、混ぜ合わせる力を持った夢想と、欲動および生命に満たされたミクロコスモス)があった。
http://blog.livedoor.jp/lain6/archives/50564455.html

世界を変革するために、ノヴァーリスは魔術的観念論を編み出した。それはフィヒテの観念論に当時の魔術および科学の理論、ガルヴァーニ電気、刺激理論、世界霊、有機体論、力学、熱学、錬金術などをメタファーとしてまぶしたものだった。それはあたかもX器官による上昇感覚のごとく、人間の認識を飛び越えて超越者へといたる、そして世界をリアルに認識する魔術的回路のごとく。人間は道徳的になればなるほど、魔術的、かつ神的になっていくのだ。(同上)

 詩を書くとか世界変革とかの限定された当為ではなく、およそ生きること(世界の中で生気をかろうじて維持しつづけること)それ自体が魔術的観念論でなければならないということ、カントやフィヒテの「構想力」に学んだノヴァーリスにとってはそれが当然であっただろう。


http://666999.info/matu/data/hukakutei.html#hukakutei からフラグメンテを、一日1個づつ紹介していこうかと考えた。ふと、フラグメンテという言葉にひっかかって上記を書いた。ロマン派的方法(想像力)は普遍的であり21世紀にも再生しうるものではないか、ということは下記の熊谷 孝氏の批判的言及を読んで思いついた。

いうところの想像力理論に関していえば、それは全般的に現在でも、ドイツ・ロマン派ふうの問題の把握と理解のシッポを断ち切っていない。断ち切れないでいるのである。その理解のしかた、処理のしかたがロマンティックにすぎるというより、それはこのロマン派に特有の「神秘主義的であるという意味でロマンティックな」想像のはたらき(──想像的意識作用)の把握のしかたにとどまっている、ということにほかならない。
http://wwwsoc.nii.ac.jp/gsle/85.kaisyakugakuhihan/syogakkan.html

*1:野原はノヴァーリスのことを何も知らないので以下の引用は見当違いである可能性があります。