松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ときは今

 それは違いますね。1910年以来、朝鮮人がどこかしらで日本人に一撃を与えていない日はありません。長い話です。これまでのところ半島の統治をくつがえすことはできず、武力闘争は満洲からも追い出されてしまいました。何千人もが投獄・処刑され、牢獄はいつも満員ですが、朝鮮人はあきらめてはいません。その時のために準備しているだけです。
(p35『アリアンの歌』ニム・ウェールズ/キム・サン 岩波文庫

 四・三蜂起は失敗した蜂起である。したがってそれは無謀な蜂起であると評価される。・・・誰によって。支配者とそれに盲従したがる奴隷主義者によって。

テレビで西郷隆盛を紹介していたが彼については常に江戸城無血開城の功績だけが語られ、彼がまぎれもないテロリストであったことは語られない。

慶応3年(1867)12月、京都小御所でクーデターに辛くも成功した薩長倒幕派であったが、その直前10月に大政奉還が行われ、慶喜討伐の理由を失った薩長クーデター派は、倒幕の理由をつくるために、西郷隆盛が中心となって、益満休之助などの志士を江戸に派遣し、江戸の街に意図的に騒乱を作り出し、江戸幕府政府の無力を民に知らしめようとした。
http://blog.zaq.ne.jp/rootakashi/article/547/

アジアの男たちの力強いふぐりは
妖鬼どもの奥歯にかかり
アジアの処女らの浄らな乳房は
毒蛇の牙に任されたままだ。
おうアジアの悲劇の夜よ
おうアジアの悲劇の夜の
なんと長く深いことよ。
 
天は限りなく高く 地はいよいよ厚く
隆々とした山岳 うっ蒼とした森林
海は深く 湖は蒼く
野はひらけ 砂漠は果てなく
太陽はかくも異様に光り、
(略)
(「アジアの黎明」呉相淳 金時鐘訳 p79 isbn:9784000238427 )


さてわたしたち日本人はアジア人なのだろうか?それとも植民地人の常としてアインデティティを喪失したままなのだろうか。
エメ・セゼールが問うたのはおそらくそのことであろう。