松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

自由=野垂れ死 の恐怖

今朝は早起きできた。
勤勉に−怠惰に 
緊張と弛緩といってみれば、それは生物としての私たちにとって不可欠な状態を計るひとつのベクトルであることが分かる。スポーツの訓練などもいってみれば、緊張と弛緩を美しいリズムとして身につけることであろう。
「仕事人間になってしまうこと」からどうやって逃げるか、がわたしの半生をかけて追求したテーマであった。こう書くと笑われるでしょうが、でも笑うべきテーマでしょうか。自分の狭い職場、業界の常識にとらわれ、それを越えたつもりでもそのもう一つ二つ広いに過ぎない「常識」というものに骨の随まで捉えられてそのまま死んでいくのがわたしたちというものではないでしょうか。
そのとおりである、そのとおりで何がいけない。その外を措定することはニーチェが言ったように、負け犬のお守りを捏造することでしかない。という意見もあるでしょう。しかしやはり「常識の外」はふつうに在る、と考えるべきです。というのは、大東亜戦争中の日本、あるいはイラク戦争中のアメリカにおいてその戦争の終わりは「常識の外」であったわけですが、「外」は実際にやってきました。イラク戦争は終わっていませんが、でも米国以外では「(その正義は)終わった」という認識が圧倒的です。

えーと話がそれた。「仕事人間になることを忌避する」というスローガンから、勤勉であることの忌避が生み出されると。それは単に屁理屈で怠け者であるだけじゃないのかとも思います。しかし「勤勉に−怠惰に」を考えるとは怠けもの=価値観から自由でなければならないということなので結構難しい。
わたしたちは自由に生まれ落ちるわけではないが、結局のところ、〈野垂れ死ぬ自由〉はある。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20080303#p2
昨日は竹林さんという方の追悼会に行ってきたが、イデオロギーでガチガチに固まった古い左翼の皆様*1がそれでも彼の死に深い衝撃を受けたとするとそれは〈野垂れ死に〉性というものを誰にもはっきり分かる形で伝えたから、であったでしょう。乏しい年金のすべて(いやそれ以上)を費して癌で弱った身体を押して反戦平和運動のために全国を飛び回った。自分の主張を全市民に伝えるために市議選に何度も立候補し供託金を没収された。それは意志さえあれば貧乏人にでもできることであったのです。野垂れ死にといっても彼は70歳でした。臆病に大事大事に生きていてもそれ以前に死んでしまう人は沢山います。そのとき人はいったい何を大事にして生きたといえるのでしょうか。もちろん家族や友人を大事にするは良いことです。しかし一方でひとは〈自由〉であり、自分が自由ないと信じるあるいは信じるふりをするのは良くないことです。
松下昇をその〈野垂れ死に〉性において捉えるのは、浅い捉え方にすぎないでしょう。 でもたかが「仕事人間にならないこと」といったテーマをクリアーできていない(というか簡単にはクリアーできているはずはないと思うが)私にとっては意味のあることです。
ちなみにかって長い間〈野垂れ死に〉は、ひとつの輝きをもったインテリたちの*2あこがれでした。〈播磨の教信〉をはじめとするたくさんの聖たちが野垂れ死んでいきました。

*1:もちろんそんなことはないのですがあえてそう書いてみた。とても自由な雰囲気でしたよ。

*2:親鸞たち