松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

権利としての反省

〈過去(特に第二時世界大戦中の罪悪)の反省〉というテーマが、ドイツを中心にしたヨーロッパにおいていかに、執拗に粘り強く展開されて現在に及んでいるのか、について12/11付けで紹介した「ホロコースト記念碑」及びその資料館に触れることによって、感じとることができる。
というか、「虐殺され、あるいは行方不明になった全ヨーロッパのユダヤ人の名前と略歴が読み上げられる。それと同時に、壁の四面に、犠牲者の名前、生年、没年が映し出されるようになっている。」といったインスタレーションにはわたしはすでに出会ったことがあった。
あえていうならばその〈劣化コピー〉としての形態において。2003年の8月から日本国内でも展示された「シャヒード、百の命」展がそれである。サイトは現在も閲覧可能。
http://www.shaheed.jp/

人の死は同時に(彼/女にとっての)世界の終わりである。わたしたちは死を認識できずそれについて語ることもできない。であればこそわたしたちは嘆きそしてみじめな代替品としての表現を作成しつづける。

一方で、どんな死者たちも政治的に存在している。
さしたる理由もなく殺され謝罪されないパレスチナ人の死者たちよりも、60年以上前になくなったユダヤ人たちの前でわたしたちはより多くの涙を流している。おそらく。

さしたる理由もなく殺され謝罪されないばかりでなく朝鮮人にも中国人にも日本人にもその死を知られることもなく死んでいっている(だろうところの)北朝鮮の数多くの収容所における死者たちがいる。

 私が住んでいたところから300mのところに北朝鮮に帰国した「在日の村」がありました。日本人妻なんかもたくさんいました。そういう人達に会ったんですが、そういう人達がどうしてこういう収容所に収容されるのかというと、「親愛する同志」とか、「偉大な首領」と言う言葉をちょっと忘れて、そういったことだけで入れられるのです。又、金日成の写真にインクをこぼしたというだけでとか、金日成の誕生日等の祝いの時に欠席すると、当然、反動という烙印を押され、収容所に入れられるのです。
 その中には、大阪、東京から帰国した人も多くいました。彼らの話を聞いてみると、その人達は日本に居た時に総連の活動を一生懸命に活動した人達がとても多いんです。総連の闘争を一生懸命やった人間がなんで収容所に入れられるのか、そういう理由は全く私には理解出来ません。判りません。耀徳には、私がいた87年当時だけでも、3000名近い帰国同胞がいました。
 耀徳の中には龍坪(リョンピョン)とか、坪田(ピョンジョン)という完全統制区域があります。そこは絶対に入ったら一生出てこれません。そして立石(リブソク)とか大淑(テスク)とかそういう革命化区域があります。ここは少しは行いがいいと、将来的には出てくる可能性があります。
http://www.bekkoame.ne.jp/ro/renk/renk_archive/renk08_1.htm

イスラエルの長大な壁建設や北朝鮮強制収容所のような明白な現在形の国家犯罪を糾弾しない主体が、次のように述べるのはいかがなものか、とネット右翼ならずとも思ったとしても無理ない。と認めるとして。

一、公式な被害認定、謝罪を行い、明確な形で歴史的、法的な責任を負うことを日本政府に要求。すべての元慰安婦、遺族らへの賠償を要求。

今回の謝罪要求は欧州議会からのものだが、国際社会は「イスラエルの壁建設」を是認しているわけではなく批判はしている。

ユダヤ人を追悼することを拒否することが、パレスチナ人の追悼につながるわけではない。そこに抑圧され死に瀕したユダヤ人がいたなら助けようとすることが正義である。私たちは正義を求める。
正義は現実の場では、政治的に歪曲された形でしか現象しないといえるかもしれない。

わたしたちは北朝鮮強制収容所の解放を求める。
慰安婦問題を含むアジア太平洋戦争について日本の市民が、いままでできなかった「正しい反省」を獲得することは、発言する権利を得るための必要条件である。