松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

アリ・アルスーフィさんが殺された。

今日27日、アナポリス・サミットの開催日の早朝、ガザで殺されたのは、ラファの農民、アリ・アルスーフィさん(55)で、イスラエル軍の銃撃に倒れた。

イスラエル軍は破壊されたガザ空港に近い、ラファ東部に侵入してきていて、農地に激しく銃撃を行い、スーフィさんを殺したと目撃者は語っている。

イスラエル軍はスーフィさんの3人の兄弟を怪我させ、逮捕したほか、4人の地元住民も連行している。

27日は夜明けにハマス武装組織メンバーが、イスラエル軍のミサイルで殺されているほか、その前にもガザでは4人が殺されていて、24時間で6人の死者が出るという事態になっている。

( Israeli army kills a Palestinian farmer in Rafah, as death toll rises to six in 24 hours より)
http://0000000000.net/p-navi/info/news/200711272018.htm

もちろん世界中のわたしの知らない人は今日もたくさん死につづけているわけで、アリ・アルスーフィさんを特記する理由は、ないと言えばない。もちろん死ぬことと殺されることは違うし、素性のしれないテロリストの爆弾の巻き添えになり結果的に「殺される」のと、イスラエル軍の銃撃による死とではまた全く違うだろう。
国民の福祉を保証すべき国家=軍がたとえ自国民でなかったとしても、武装もせず敵対もしてない市民を殺すなどあってはならないことである。
しかも遠い外国の話だから関係ないにしてしまいという内心の思いはもちろんある。しかし、日本は(頼まれもしないのに)イスラエル、ヨルダン渓谷地域に援助という名前で介入しようとしているようだ。介入自体は悪ではないようだが、イスラエルの圧倒的な不法に目を瞑って、援助だけをします、といってもそれは客観的に通る話ではないのだ。つまり、(小泉がイスラエルに行って)日本政府が余計なことをするから、わたしが「遠い外国の話だから関係ない」と言えなくなってしまったわけである。
 わたしはパレスチナ人に責任をもってかかわり得ない。気まぐれに関わるのは罪深いことだ。*1しかし、(無断引用ばかりだが)下の写真にあるように、パレスチナには半世紀を越える重苦しい絶望ばかりがあるわけではない。邪悪な壁で半ば隠されているからこそ美しい青空も存在する。
〈美しい青空〉がわたしを許してくれるだろう、と考えてこの記事を掲載してみよう。

*1:追記:しかしそうであったとしても「関わる」方を選ぶべきだ。