松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

フィリピンの対日協力者

5.日本の占領政策、ガナップ、マカピリ

真珠湾攻撃後、破竹の勢いで進撃した日本軍がまもなくフィリピンを占領します。このときベニグノ・ラモスも日本軍とともにフィリピンに戻り、対日協力者としてガナップ党を結党します。ラビニャさんのお父さんもガナップ党に入ったものと思われます。

ところが日本軍はこのガナップ党を政治利用することを極力避けて、日本を熱心に支持する少数派であったにもかかわらず、彼らは何ら優遇されることがありませんでした。日本の占領政策もまた、地主エリートを温存することで統治の安定を図ったというのがそのひとつの背景として指摘できます。

結局、日本軍が本格的にこの人々を利用し始めたのは、戦争末期になってからで、1944年12月、日本軍はガナップ党員たちを中心にマカピリ(フィリピン愛国同志会)を発足させました。銃を取らせて戦わせるというよりも、日本軍の主な目的は、抗日ゲリラを密告させることだったようです。ラビニャさんのお父さんもそのようにして利用されました。日本軍の残虐行為の協力者とさせられていったのです。戦後、逆にマカピリの人々は激しい報復の対象となりました。ラビニャさんのお父さんも惨殺されました。マカピリに対する一般住民の憎悪と激しい報復は、先に放送された「証言記録 マニラ市街戦」(8月5日放送)でも生々しく証言されていたところです。それだけ、日本軍の残虐行為によるフィリピンの住民被害が深刻だったということなのです。
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現在のフィリピン共和国独立記念日は7月4日ではなく、1962年以来、6月12日です(7月4日は米比友好記念日とされています)。これは1898年6月12日にスペインからの独立革命を戦っていたフィリピンの革命政府大統領アギナルドによる独立宣言の日付に由来しています。(同上)

1898年以来、実際にはもちろんそれより前に遡るわけだが、といった時間の幅でフィリピンの独立などについて考える必要がある。大東亜共栄圏はその前史を含めても10年くらいだからね。