松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

きょうのビルマのニュース・など

http://www.burmainfo.org/politics/88GSG_200708.html
ビルマ情報ネットワーク
http://d.hatena.ne.jp/burmainfo/
BNN日本語ヘッドライン〜きょうのビルマのニュース
http://www.burmainfo.org/essay/tanabe20070927.html
ビルマミャンマー)でいま何が起こっているのか?
田辺 寿夫(シュエバ)  2007年9月27日
http://blog.goo.ne.jp/civil_faible/e/cc471b712888db1fea50c771945dc2f8
ビルマ情勢から「連想」したこと


上記田辺さんの文章より

 ミンコウナインの名は、Min(王=独裁者ネウィン)Ko(〜に)Naing(勝つ)という印象的な活動名とともに人々に記憶されている。1988年8 月に結成された全ビルマ学生連盟(バカタ。ABFSU)の委員長である。「反政府活動」のゆえに逮捕され、1989年3月から2004年11月まで15年の牢獄生活に耐えた。ミンコウナインの名がふたたび登場したのは2006年9月にほかの元学生指導者4人とともに再度拘束されてからである。この時、「88世代学生グループ」を名乗る活動家たちが、ミンコウナインらを含めた政治囚釈放嘆願署名運動を展開し、厳しい軍事政権の監視の下、3週間でおよそ 50万人の署名を集めた。集まった署名の数の多さ、それを後押しする国際世論に気兼ねをしたのか、軍事政権は国連安保理ビルマ問題決議案が採択される直前の2007年1月11日に彼らを釈放した。
 2007年5月27日、17年前のこの日、NLDが総選挙で大勝をした記念日に、ミンコウナインはヤンゴンのNLD本部前でNLD党員の前で力強い演説を行なった。88世代学生グループとNLD党員たちはシュエダゴン・パゴダへ参拝して、政治囚の健康と早期の釈放を祈ろうとしたがUSDAを動員した当局側の妨害でパゴダへは入れなかった。「引き返そうぜ。どこで祈ろうと気持ちは通じるさ」。声をかけたのはミンコウナインだった。そして本部前で1000人もの群集にミンコウナインは話しかけた。軍事政権を直接弾劾する言葉はなかった。しかし、それぞれが努力をしてゆけばすばらしい国を作ることはできる、世界に恥じないビルマを実現しようと彼は熱っぽく語った。聴衆は盛り上がった。ミンコウナインと周りを固める88世代学生グループの面々、そして集まった人々の多くがアウンサンスーチーの似顔絵とFree Aung San Suu Kyi!のスローガンが赤く染め抜かれた揃いのTシャツを着ていたのが印象的だった。
 そして8月、燃料費値上げに抗議するデモの口火を切ったミンコウナインはほかの活動家たちとともに8月下旬にまた拘束された。代わりに僧侶たちが立ち上がった。僧侶たち自身が政治的要求を直接掲げないにせよ、僧侶の行動を見守る民衆はこの動きが政治囚の解放、民主化の実現につながることを期待している。

 民主化勢力も1988年民主化闘争の教訓を学ばなければなるまい。それまで26年間つづいた軍事独裁政権の下では、官製の組織以外は、政党であれ、労働組合であれ、学生連盟であれ、結成すら許されなかった。1988年の闘争の盛り上がりの時期にも、こうした組織活動の経験のなさがさまざまな混乱をよんだ。それが当局の介入、鎮圧を許した一因でもある。今度は失敗は許されない。情報の伝達はすばやく、国際社会の監視も厳しくなっている。しかし、肝心なのは国内のたたかいである。国民の素直なおもいが、あらゆる妨害をはねのけて実現するよう願わざるを得ない。