松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

何の木の花のものでもない〈匂い〉

なにごとのおわしますかは知らねども かたじけなさに涙こぼるる

西行

何の木の花とは知らず匂いかな

芭蕉

「伊勢御神前にて」という詞書きがある。
例えば保田與重郎という媒介項を入れて考えるなら、このような「かたじけなさ」も人心を大東亜戦争に集約していくイデオロギーの一片をになったと評価されるだろう。
ただまあ、どうだろう。
このようなあえかなるものへの〈涙〉というものを一つの価値として評価することもできるのではないか。
匂いが〈匂い〉たりうるのはそれが、何の木の花のものでもないからである。世俗の価値秩序から遠く離れた非在の〈匂い〉だけを芭蕉は追い求めた。世俗の価値秩序の集約点であり、強大な武力を持つ国家といったものの対極点を。