松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

討論に開かれた授業を実現しよう。

「ざまあみろ」からやり直す、といっても特別なことではない。
1)「原爆投下は戦争犯罪である。」ことについて日本の高校生に教える。あるいは「原爆投下は戦争犯罪であるか?」でもよい。
このためには当然、
2)「南京大虐殺戦争犯罪である。」ことも教えなければいけない。
3)従軍慰安婦についてはすでに「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ(河野談話)」と確認されている。(実行できていないだけだ)
4)「原爆投下は戦争犯罪である。」ことについてアメリカの高校生に教える。あるいは「原爆投下は戦争犯罪であるか?」でもよい。
5)「原爆投下は戦争犯罪である。」ことについて中国・韓国などの高校生に教える。あるいは「原爆投下は戦争犯罪であるか?」でもよい。
6)それぞれの問題点について、外国人学生と相互討論する。*1
教科書にはかならず真実が記載されなければならないという重荷から教科書は開放される、「討論」が可能であれば。それと同時に、自閉的、自慰的価値観に立った教科書は淘汰されていくだろう。


大事なことは、国家=教科書が真実を教えてくれると安易に期待せず、開かれた場というものを知ることだ。(そのために勉強しなければという動機も生まれる)

参考:歴史教科書比較表
http://sengosekinin.peacefully.jp/home/contents/kyoukasho/shiryou.htm
特集:つくる会と歴史教科書問題

*1:インターネットを利用すれば外国人との討論は安価にできる。言葉の壁はあるが。