松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

たった一人のストライキ


 1枚の写真。ある大学での構内で、一人の女性が立っている。旗を掲げて。大学祭でもないのに彼女の背後にはテントがある。赤や黄色など派手な色の垂れ幕の下がったテント。「ハンスト・カフェ」と表示がある。*1
 ハンストとは何か?ハンガーストライキ。生きることの根源を掛けて抗議の意思を表明すること。
 「カフェ」とは何か?人と人との出会いの場である。彼女はたった一人で立っており唯一性を体現している。で、ユニークなものだけが出会うことができる、ことをこの「カフェ」という言葉は告げようとしている。
 彼女の主張は何か?彼女は「2000年度から、1年契約の非常勤講師でイタリア語の講義を担当してきたが、昨年12月、大学から「担当できる科目がなくなった」として、08年3月で雇い止めの通告を受けたという。」*2
 *3
その大学の前理事長は退職金1.2億もらったとのことだ。大学運営で利益が出ればまず分配されるべきは、学生の前に身を晒したパフォーマンスで学生を導き楽しませた講師に対してだと思うのだがそうでもないらしい。
・・・
 わたしはサラリーマンだ。給料に依拠して暮らしている。クビになればそれで終わりである。したがって私にとって第一の問題はクビになったとき/成りそうになったとき、彼女のように会社の門の前で(あるいは構内で)平然と抗議行動ができるかどうか?である。可能であれ不可能であれそれがサラリーマンにとっての原点である。
 よく整備された大学構内で一人立っている彼女の写真には、幻の〈掟の門〉*4を出現させそれを反転させる力が潜在しているようにも見える。

*1:http://gurits.exblog.jp/5884537  遠藤礼子さんハンスト1日目の様子

*2:http://gurits.exblog.jp/5863083/ ゼネラルユニオン 立命館大学支部 GU Rits Uni Branch

*3:これは、労働者にとっては(?)あまりにも当たり前のことであって抗議それも、大学の敷地を占有して反対活動するなど考えられないことであるだろう。「雇用の待遇、有期雇用、低賃金」といったテーマについては、貧困ラインすれすれで使い捨てられるパートなどに比べれば大学講師は恵まれていると言われてしまうかもしれない。雇用者が用意した狭い条件をなんとかクリアーして「正規」社員になることそれが労働者として生きる最大の試練である。負け組になるのは自己責任でありそうなってはいけない、と私たちは考えるしかない。まあそうかもしれない。

*4:カフカの小説、とても短い。