松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

自由な言論を萎縮させる趣味を許容する権利はない。

(さていつものことだが、行数を費やした割には一編の論文の紹介として無茶苦茶なものになった。)
最後にもう一ヶ所だけ引用しておく。

 特に重要なのは、市民的自由の領域では、他の人権とは異なって、それを「行使」することに法が積極的意義を認めるべきだという要請である。
 実際、アメリカやドイツの諸判例は、表現の自由「行使(exercise)」を促進することに関心を払っている。「制裁への恐れから許される批判もなされなくなるような、基本権行使への威嚇的効果」を避けなければならない(ドイツ連邦憲法裁判所)。「修正1条の権利の生き生きとした行使への萎縮効果の危険」を防止する必要がある。(後略)*1

 ネットではもちろん、「コメントスクラム表現の自由への敵対か?」という議論がある。いままでの文章から、敵対であることは明らかだと、読者に思ってもらえれば嬉しいです。

さすがです。この掲示板もやっぱり焦土と化しちゃうんでしょうか?
http://d.hatena.ne.jp/myhoney0079/20070708/p11

 myhoney0079氏の一行だけのコメントです。言論の自由への敵対という一点での連帯を呼びかける言説のなんたる醜悪さ。

*1:毛利 同書p24