松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

おびただしい死

 筑紫峠も、辰平は忘れることができず、フーコンという言葉を聞けば思い出すのであった。サモウの野戦病院というのか、患者収容所というのか、あれもひどいものであった。患者が多くて、とてもあの瀬降り病棟に全部を収容しきれず、土の上に、何人もの患者が横たわっていた。雨が降ると、そこでそのまま打たれて、ずぶ濡れに濡れていた。そのような患者が次々に死んだ。死体は、共同の死体壕に投げ込まれた。死体壕に雨水が流入してできたプールに、沈んでいる死者もあり、浮かんでいる死者もいた。禿鷲が降下して死者の肉を爪にかけて、飛び去った。
 あの死体壕に投下されるまで、死者は泥土に顔を突っ込んでいた。あるいは、仰向けになって、眼と口をあけていた。
 あれは確かにあったことであり、実際に見たことなのだ。辰平にはしかし、幻のようにも思えるのであった。あんなに多くの人が、あんな姿で死んでいる光景を、俺は本当に見たのか。もしかしたら、幻想ではないのか。そんな気がするのである。死者の光景だけではない。あの戦場のすべてが夢の中の光景のように思えるのであった。
(p12-13『フーコン戦記』)

 私野原はもちろんこのような死者たちなど見たことがない。だからこのような光景の前ではそれが(小説だが実際の回想に近い)小説の一節でも何もいえなくなります。
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 浅野PDFにある地図ではミートキーナの左1cmくらいのところにモガウンそのもうちょい左(西)にサモウというところがある。サモウの野戦病院の惨状については現在語られることはない。*1
 日本人はビルマだけで19万人死んだ。思えば兵隊さんというのも可哀相なものである。兵士であるというだけで19万人死のうが百万人死のうが虐殺だと騒ぎ廻ってくれる人はいない。
 煤けた女たちを写した一枚の写真はおそらくこれからも何度もプリントされ教科書にも載るかもしれない。それに対し、サモウの死者たちのことは誰も思い出さない。
日本人ならサモウの死者たちのことを忘れるな、と誰かが言うなら、それは確かに一理ある。
 しかし仮にどこかの文章の上手いデマゴーグが、兵隊さんか慰安婦かという二項対立を説得力ある文章に仕立て上げてもだまされてはいけない。兵隊さんの死を忘れるなとは、彼らの貴い愛国の志を忘れるなそれはしっかり靖国神社が護持しているから靖国へ詣ることで死者の恨みは昇華される、という悪魔信仰でしかない。
 わたしたちは煤けた女たちを写した一枚の写真の前にたちどまる。それと同じように、サモウの死者たちを描写した小説の数行の前にもたちどまる。女たちと男たちはそれほど離れた場所で死んでいった訳ではないのだから。*2

*1:何も知らないわたしに発言権はないが。アジア太平洋戦争でもビルマ雲南の戦争など滅多に語られず、語られるとしてもインパール作戦の悲惨が多い。

*2:写真の慰安婦たちは生きのびたが都市の陥落のたびに死んでいった女たちも多かった。