松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

トマサ・サリノグさんが亡くなりました。

悲しいお知らせが届きました。
2007年4月6日(金)、日本時間の午後3時前(現地時間2時前)にトマサ・サリノグさん(愛称ロラ・マシン)が亡くなりました。78歳でした。
フィリピンで唯一、国民基金の受取拒否を表明しそれを貫いたロラです。
http://shogenkyoto.blog70.fc2.com/blog-entry-54.html
旧日本軍性奴隷問題の解決を求める全国同時企画  京都のブログ 【訃報】フィリピンの被害女性 トマサ・サリノグさん亡くなる

彼女の2007年3月29日付け 内閣総理大臣 安部晋三首相 宛要請 及び
冒頭陳述(要旨) 1993年10月15日 東京地裁第1回口頭弁論期日も
上記ブログに載っています。
トマサ・サリノグさんとわたしは会ったこともなければよく知っているとさえいえない。だがその名前はよく記憶していた。上の検索窓で「サリノグ」検索してみると4つの日付がヒットする。


http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050312#p1 の文章を少し変えてトマサ・サリノグに適用してみましょう。

わたしが「サリノグ」という名を何度か書き留めた動機は二つ在る。一つは「過去の従軍慰安婦〜連続暴行被害」という問題が現在も問題として大きく浮上しておりその(被害者に比べて)数少ない証言者、その人にわたしたちは関心を持つべきだという社会派としての関心。もう一つは、ある女性の人生(連続暴行を受けたこと)が私に関係あるのかどうか、という哲学的問いの素材としての関心。前者を否定できない以上、後者を取り上げるのは不謹慎だ。だがわたしの問題意識はかっての段階でも後者に比重があった。

「ある人の死(殺されたこと)」とは私にとって何だろう。いまこのブログは二人の死者の名前をヘッダに掲げている。*1死者の名前を何に利用しようとしているのだろう。死者は決して語り得ない。したがって死者の名前に言及することは彼女のものであった何かをわたしが横領することであり暴力的である。だがヘッダの二人の名前は私によって選ばれある効果のためにそこに置かれている。わたしは幾ばくかの関係を彼女たちの名前との間に結んでいるのだ。また、id:noharra:11001201に、トマサ・サリノグ、朴永心という二人の女性の名前が証言と共に載っている。名前ではなく「従軍慰安婦」というおかしな普通名詞で呼ばれるだろう彼女たち。国際法廷とは普通名詞ではなく固有名としての彼女を奪還する闘いでもあった。この4人に対しては「あなたを忘れない」との思いを肯定する多少の人々の集まり(それぞれ別の)があるだろう。だが東アチェ郡の彼女について、「あなたを忘れない」と思っている人はほとんどいない。わたしにしてもそれほどの思いはない。そうした状況は是正されるべきだ。インドネシアにおける国家犯罪に対し、日本国家と国民はイスラエルのそれに対するよりずっと大きな責任を持っている。そのことは事実であり、皆がそれを自覚すべきなのだろう。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050312#p1

彼女の証言を下記2ヶ所にコピペしてあります。
p132-134『女性国際戦犯法廷の全記録・ 第5巻 日本軍性奴隷制を裁く-2000年女性国際戦犯法廷の記録』isbn:4846102068 より
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050203#p3
http://d.hatena.ne.jp/noharra/11001201#p1


慰安婦」の死を喜ぶ、全ての者たちに憎悪を!*2

*1:レイチェル・コリーと桧森孝雄の二人、今は徹訓(チョルフン)くんを追加している。

*2:死を!と書いていたがちょっと遠慮した