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靖国神社A級戦犯合祀に絡む内密資料の公表

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靖国神社A級戦犯合祀に絡む内密資料国会図書館公表

3月29日9時58分配信 毎日新聞

「新編靖国神社問題資料集」の刊行を発表する国立国会図書館春山明哲専門調査員(中央)ら=同館で28日午後5時9分、山本晋撮影

 靖国神社へのA級戦犯合祀(ごうし)が決まるまでの神社側と旧厚生省との詳細なやり取りが28日、国立国会図書館の公表資料で明らかになった。両者が昭和30年代から内密に検討を重ねていたことを示し「合祀決定とするが外部発表は避ける」(69年)など生々しい記述が残されていた。戦後史の貴重な資料として注目されそうだ。

 一連の資料は、神社が非公表の形で保管していたものを国会図書館に提供。小泉純一郎前首相の靖国参拝問題を契機に、国会議員らから過去の経緯に関する問い合わせが集中したため、同館が「新編靖国神社問題資料集」にまとめた。
 資料集には808点掲載されており、このうち靖国神社提供は179点。戦前は旧陸海軍が管轄しており、当時の合祀の資格審査や手続きに関する初公開文書も含まれている。
 公表資料によると、BC級を含む戦犯の合祀の話し合いは、少なくとも1958(昭和33)年4月から始まった。同年9月に神社社務所であった打ち合わせで、厚生省側は「全部同時に合祀することは種々困難」と指摘し「先(ま)づ外地刑死者(BC級)を目立たない範囲で(合祀するよう)諒承(りょうしょう)して欲しい」と要請していた。
 66年に同省は合祀の前提となる祭神名票(さいじんめいひょう)にA級戦犯も記載して神社に送付。その後は78年の合祀まで神社内で保留状態とされていたが、この間の69年には、双方が参加した検討会で「合祀可」の取り扱い決定をしたことが資料に記されていた。この検討会で外部発表を避けることも決められていた。ただ、合祀に慎重だったとされる当時の筑波藤麿宮司は、この検討会の参加者名簿にはなかった。
 旧厚生省の担当部局は旧軍出身者が主導し、合祀に積極的だったとされ、一連の経緯はこれまでも関係者証言などで知られていたが、具体的資料で裏付けられた。靖国神社幹部は「靖国が勝手に合祀したのではないことが、はっきりするはず」としている。
 「資料集」はA4判、約1200ページ。国保管資料や米側収集文書、中曽根康弘内閣時代の閣僚参拝に関する懇談会議事資料なども含まれている。国会図書館はホームページhttp://www.ndl.go.jp/で5月ごろまでに公開する予定。【竹中拓実、竹島一登】
 ▽84年に岩波書店から「靖国神社」を出版した大江志乃夫・茨城大名誉教授(日本近現代史)の話 旧厚生省がA級戦犯合祀の主導権を握っていた実態が明らかになった。靖国神社の事実上の「国営化」が行われていたということで、政教分離を定めた憲法に反すると言える。靖国神社が資料の公開に応じたのは、国主導の合祀の実態を明らかにして合祀の正当性を主張するとともに、遺族の高齢化で財政的、人的に運営が難しくなっており、国からの支援を引き出す論拠にするねらいがあると言える。

 【ことば】A級戦犯合祀 侵略戦争を計画・遂行したなどとして極東国際軍事裁判東京裁判)に起訴された政府と陸海軍の指導者28人が「A級戦犯」。病死や免訴の3人を除き有罪となり、東条英機元首相ら7人が絞首刑になった。靖国神社は78年、受刑中などに死亡した7人を含む計14人を合祀した。中曽根康弘首相(当時)の初の公式参拝(85年)以降国際問題化。昨年、昭和天皇が合祀に不快感を示したことが富田朝彦宮内庁長官のメモで判明し、分祀論などが再び活発化した。

http://d.hatena.ne.jp/natunokaori/20070330#p1 さん経由