松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

「強制反対の強制」と「自由」の定義

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ただ、学校に乗り込んでいって「日の丸・君が代の強制反対」と主張、それを学校の現場に対して反映させようとした時点で一線を越えている、というのがワタクシの主張なわけ。なぜなら、学校の方針に対して異を唱えて自身の考えを反映させようとすれば、それはすなわち、同じ学校に通っている他の生徒・児童に対しても自分の考えを強制しようとしている、という意味になるから。

となると、「日の丸・君が代の強制反対」「自由な考えを保証すべき」と主張する azamiko たんが、「日の丸・君が代の強制反対を強制する」というトンチンカンな構図になっちゃうのですな。だから、「自由な考え方を保証するためには、強制反対」といっているのも意味不明になってしまう。「強制反対を強制する」ことで、日の丸・君が代を認める自由を阻害しようとしているわけだから。

azamiko たんみたいな人と普通の人では、「自由」の意味が違うのでしょうな、多分。azamiko たんがいうところの「自由」は、azamiko たんの思想に合致する枠内に限られていて、その思想を吹聴できるのが「自由の保証」。そして、自らに反対する思想の存在は認められない。というわけ。

国家主義者みたいな人と普通の人では、「自由」の意味が違うのでしょうな、多分。国家主義者がいうところの「自由」は、国家の思想に合致する枠内に限られていて、その思想を吹聴できるのが「自由の保証」。そして、自らに反対する思想の存在は認められない。というわけ。(野原)