松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

私はチェチェンを知らない。

私たち国際社会は、ロシア軍によるチェチェン侵攻を、二度にわたって止めることができませんでした。いや、もしかしたら、こういう表現をすること自体、欺瞞なのかもしれません。なぜなら、私自身を含む世界の多くの人々は、1994年12月にエリツィンが戦争を始めるまで、あるいは1999年9月にプーチンが戦争を始めるまで、チェチェンという共和国があることさえ知らなかったのですから。そして、2006年11月になってなお、国際社会はチェチェンについて語らないし、語ろうともしていません。チェチェンではすでに25万人の市民が、5万人の子どもたちが、殺されているというのに。

リトビネンコ氏が亡くなった翌日24日、彼がプーチンに宛てたとされる声明が発表されました。

「私を黙らせることには成功したかもしれないが、あなたは残りの人生を世界中からの抗議の声を聞きながら過ごすことになり、高い代償を払わなければならなくなった」

残念ながら、私の耳には、プーチンに対する「世界中からの抗議の声」は聞こえません。彼の死に対して、チェチェンで殺された25万人の死に対して、あるいは愛する人を失って生きていかなければならない、さらに何十万人もの人々の生に対して、プーチンが「高い代償を払わなければならな」い日など、来ないのではないでしょうか。もしも、私たち自身が「世界中からの抗議の声」になろうとしなければ。
http://chechennews.org/chn/0626.htm
チェチェン総合情報