松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

南京中虐殺説?

9/18 にrajimania氏からコメントをいただいたのに、応答できないでいた。
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20050724

rajimania
『 「日本語の用法についての議論は何の意味もない』というのは誤りだ。「日本語の用法についての議論は何の意味もない」のであれば、南京学会の人が過去何十年も意味もない議論をしてきたことになる。野原さんは、南京事件における虐殺数が一万人でも、20万人でも大したことではないと考えているようだが、それは違う。大したことではないなら、中国が年々虐殺数を増やし、南京大虐殺記念館まで建てるわけがない。

 中国は1980年代には南京事件における虐殺数は5万人程度としていたが、90年代には19万人程度と訂正。その後21世紀になって、30万人に訂正。多くの外国の支持を得て、大虐殺記念館が建った。そして中国は、南京事件や、靖国問題外交カードとして使い、日本が中国に対するODAを中止できにくくしている。

 つまり私が言いたいのは、日本の国益の点だ。例えば「南京事件における虐殺数は二万人に過ぎない」と中国に認めさせることができたなら、大虐殺記念館を閉鎖に追い込むことができ、日本が外交上有利な立場に立つことができる。

 そして「南京事件の死傷者が何人でも、それは小さな問題」という立場は、日本の国益を失いかねない。

 もちろん国益が全てではない。過去にやったことの反省は、きちんと行なわなければならない。だが、それと同時に、日本の国益も無視してはならないのであって、中国が我々の血税を、必要以上に吸い上げることには歯止めをかけなければならない。

 日本の国益を追求することと、過去の皇軍の蛮行を糾弾することとは、決して相反するものではなく、両立可能なものだ。』

(野原からの応答)
「(1)野原さんは、南京事件における虐殺数が一万人でも、20万人でも大したことではないと考えている」
そうではありません。
「(2)そして中国は、南京事件や、靖国問題外交カードとして使い、」この認識は間違っていると思います。
 「過去の不幸な歴史」(いわゆる日中戦争)をどう捉えるのかについての最低限の共通了解をまず確立することが、中国との関係を成立させるための前提条件になります。
「(3)つまり私が言いたいのは、日本の国益の点だ。」
自らの「日本は悪くなかった」というナルシズムを守るために、この「最低限の共通了解」を破り靖国神社公式参拝を強行したのが小泉首相です。国益を損なったと言えます。
「(4)例えば「南京事件における虐殺数は二万人に過ぎない」と中国に認めさせることができたなら、大虐殺記念館を閉鎖に追い込むことができ、日本が外交上有利な立場に立つことができる。」
大虐殺記念館を閉鎖に追い込むためには、大虐殺がなかったという立証が必要です。「虐殺数は二万人に過ぎない」ことが立証できても「大虐殺がなかった」ことにはなりません。「千万人を越える」という中国側の死者の象徴として大虐殺記念が必要であるわけですから。
(5)「南京事件における虐殺数は二万人に過ぎない」という立証が可能だと考えますか? わたしは不勉強ですが二〇万人以上じゃないかと思いますが。
「(6) 日本の国益を追求することと、過去の皇軍の蛮行を糾弾することとは、決して相反するものではなく、両立可能なものだ。」
この文章には賛成です。