松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

〈浄土〉への希求

儀礼国家の解体―中世文化史論集
桜井 好朗 (著) (1996/05) 吉川弘文館 isbn:4642074902

山本 ひろ子
変成譜―中世神仏習合の世界  春秋社 isbn:4393291476
以上、2冊の本を明日返却しなければならないので、急いで目を通した。特に後者は、中世の訳の分からない儀式の世界を微細に記述していくという内容なので読みにくいし、どこに面白みを見つけたらよいのか難渋する。中世人はいったい何を考えてこんな訳の分からないことに熱中できたのか。信仰といってしまえば収まりはつくが、中世の神仏習合の世界というのはどうもその根本が近代人には理解しにくい。

『変成譜』の最初の章は、「中世熊野詣の宗教世界−−浄土としての熊野へ」となっている。

 院政期の度重なる熊野御幸(くまのごこう)をきっかけとして熊野は日本国中の人々に知られるようになり、上下貴賤男女を問わず大勢の人々が訪れるようになりました。
 「蟻の熊野詣」と、蟻が餌と巣の間を行列を作って行き来する様にたとえられるほどに、大勢の人々が列をなして熊野を詣でました。
 平安時代後期以降の浄土信仰の広がりのもと、本宮の主神の家都美御子神阿弥陀如来、新宮の速玉神薬師如来那智の牟須美神は千手観音を本地(本体)とするとされ、本宮は西方極楽浄土、新宮は東方浄瑠璃浄土那智は南方補陀落(ふだらく)浄土の地であると考えられ、熊野全体が浄土の地であるとみなされるようになりました。
 中世、人々は生きながら浄土に生まれ変わることを目指して、熊野詣の道を歩いたのでした。
http://www.mikumano.net/nyumon/moude.html

 熊野詣では命がけの巡礼の旅ですから、出発に先立って精進潔斎が必要です。服装などにもタブーがあります。

又云く。参詣の路次には道言(ことば)とて、男=サヲと名く。女=イタと名けたり。尼をば(ヒツ)ソキと名く。法師をばソリと名く。此の如く世間の名字を改め、新しき名字を付けたり。其れ即ち凡夫の執心着相する処を改めて定相と迷情を壊すの意なり。
(渓嵐拾葉集 より)(p23同書)

「俗世間の名字を捨てて、これらの名字に言い換えることは、日常性と世俗を超出し、煩悩や迷妄を断ち切って新しい神子・仏子として熊野神に向き合うという信仰機制を意味しよう。」と山本ひろ子は解説する。凡夫であっても自らの常識を脱ぎ捨て新しい自己を目指すという試みが、ここではある意味であたりまえに行われようとしている。「世間の名字を改め、新しき名字を付けたり。」といえばネットにおけるハンドルネームもそうなのだがこちらの方は中世のような〈浄土〉への志向がないために、ともすれば品性の下落を招きがちだ。

「中辺路・なかへち」とは紀伊田辺から熊野本宮までの山道です。中世においては岩田川のなどのいくつもの川の瀬を徒歩で越える命がけのものでした。川で垢離(こり)を取るなどもちろん危険はありますが、そうした危険も含めて〈聖水の浄祓力による汚穢・罪障の浄化〉*1がなされうると考えられたのでしょう。彼らの浄土への希求の真実とはどういうものだったのか、分かりにくいだけに興味深いですね。*2

*1:同書p55

*2:ところで最近のRPGというものは危険に満ちた冒険の果てに〈目標〉が存在するという構造においては中世的ですね。