松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

教育基本法「改正」反対

http://d.hatena.ne.jp/annntonio/20060410/1144621283 で、

以下のことをお願いしたく考えております。
(1)ご自身のページに教育基本法「改正」反対と書いていただき*2、ご自身の言葉でその理由や思いを論じていただきたく思います。

とあったのでとりあえずヘッダにスローガンだけ書きました。
でわたし自身の反対の思いといって、特に表現しなければならないとは思いません。とにかく反対であり、だいたい変えないといけないという理由がない。反対のために石でもなんでも*1投げたいとそういう気持ちです。


chikiさんの作られた「比較」表を見てみました。

http://seijotcp.hp.infoseek.co.jp/edu.html 現行教育基本法と「新教育基本法案」の比較
前文
我らは自他の敬愛と協力のもと、自然との調和、多様な文化の受容と共存を培ってきた我が国の誇りある文化を受け継ぎ発展させ、人類社会に貢献することが、崇高な使命であることを確信する。
 我らは、この使命を果たすために、広い国際的視野を保持し、我が国の豊かな伝統と文化に立脚する新しい教育の意義を自覚しなければならない。

 この文章を読んで誰でも思うだろうことは、「本気なのか?」ということでしょう。本気で「人類社会に貢献する」つもりがあるのか? ではなんのためにイラク戦争に参加したのか? 小泉首相の説明では「他に選択支がないから」そうしたのだという話でしたがね。
「日本国民は、恒久の平和を念願し、(略)われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」云々という憲法前文の調子の高さ。これを嫌う人も多いがそういうひとたちはだいたい本気でもない理想主義を麗々しく掲げるじゃねえという反欺瞞主義者だと思っていた。ところが教育基本法「改正」派はそうじゃなくて別の理想主義者な訳ですね。ふむ。
人は神なしに生きることはできない、という思想は理解できる。*2愛国心がどうしても必要だと考えて居る人の根拠はそのような思想だと思う。ところで神が尊いのはそれが普遍だからであり、日本人には尊いが中国人には尊くない神なんてものは基本的には価値がないのだ。しかしながら日本思想史はこの矛盾を解くために長い間苦労してきたのであって*3、中国人にも通用しないこともない神といったものをなんとか作り上げようとした。そもそも戦前の日本は帝国だったわけであり他民族にも通用する神しかいなかったはずなのである。例えば皇祖皇宗もそうした試みである。今時の「愛国心」愛好家は以上のようなことをどう考えているのだろうか。アプリオリに普遍でない「愛国心」などというものを掲げて何が嬉しいのか!?

*1:つかまらないなら卵とくさったトマトを投げる??

*2:だが神はいない、と思うべきだというのがわたしの立場(かな)。

*3:闇斎、宣長以来。