松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

東本願寺爆破事件がひきおこした反省

 加藤三郎氏に関連する『概念集』のもう一つの項目は「G9・24右」つまり概念集9のp24右側である。
 概念集9のp21から24は「おふでさき小論」として天理教教祖の中山みきの表現を論じたものであるがその資料の一部として掲載されたもの。
最初にある天理教教会長の「東本願寺爆破事件に思う」という投書を紹介し、それについての刊行委員会(松下昇)による註を加えている。
 テロリズムに対して敵意というベクトルに収束するのでない反応などありえないというのが現在の雰囲気だが、三十年前はかならずしもそうではなかったことが分かる。

東本願寺爆破事件に思う
一読者より
 一九七七年十二月十九日付の朝日新聞の「ぺんざら」欄

十一月二日の京都・東本願寺爆破事件で出された「アイ
ヌモシリ(アイヌの土地)を侵略した」という「やみの
つちぐも」の声明に対し、同寺を本山とする真宗大谷派
はこのほど、機関誌に「批判をあえて甘受する」という
見解を出した。

と報道され、次いで一九七八年即ち、今年三月六日の同じ朝
日新聞に『「ツチグモ」への回等*1づくりで」、「若い僧ら自己批判
」「宗門改革の導火線にも」「爆破事件の東本願寺
という見出しで、真宗大谷派の人々の反省が伝えられてい
る。
(中略)
 これは決して他人事ではない。私たちにとって「中山み
きの弟子たる身で」と置き換えたらそのまま当てはまるこ
とである。否、神殿放火事件があったにもかかわらず、大
きなふしんを計画して浮かれている状態は、もっと厳しく
反省すべきである。他山の石とすべきことであり、対岸の
火と見ていることは許されることではない。
 本願寺の反省の中に「教団が天皇制の歴史と関連しなが
ら幾多のあやまちを犯した」というのがあった。お道の信
仰者が東宮御所訪問等、支配者に臣礼をとることなど今日
においてはあってはならないことであり、教祖に対する反逆
であるとの自己批判が必要である。
(後略)

    (教会長・61歳)

「ほんあづま』No・110  (78年4月)
昭和五十三年四月五日 印刷
昭和五十三年四月十日 発行
編集兼発行人 八 島 英 雄
(後略)

(刊行委の註 - 神殿放火事件とは、76年9月に
教団から全財産を騙し取られたという信者が
神殿の地下室へ献金を投げ込むスベリ台式の
集金装置へ燃えやすい液体を侵みこませた布
に火をつけて投げ入れ、かなりの紙幣を焼い
た事件である。しかし、平生から警察当局を
饗応して手なづけている教団側は、刑事事件
にすると問題が全社会的に取上げられるのを
怖れてもみ消し、一方では焼けた紙幣以上に
相当する献金を信者たちに指示した。
 この放火の根拠自体は東本願寺爆破とは異
なるとはいえ、他宗教の事件を自分の長年に
わたって布教してきた宗教のあり方を反省す
る契機になしうる人が例外的にではあれ存在
していることを、この投書は示しており、こ
のような人々に〈おふでさき小論〉を読んで
ほしい。なお、東本願寺爆破に関わった加藤三郎
は、概念集7で言及した「意見書」の中
東本願寺派が反省の公式見解を発表したこ
とへのうれしさを記している。獄外にいる私
たちは、その後、公式見解を実践しているよ
うには見えない東本願寺派や「反省」さえし
ていない他の全宗派・宗教・集団への批判を
具体的に展開していかねばならないだろう。)

*1:ママ