松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

大野さんへ・1「自分の権利侵害に対して」

http://d.hatena.ne.jp/discour/20060125 コメント欄への(2006/02/01 05:52)大野さん書き込みへの応答。

大野さん
discourさんのコメント欄でご挨拶いただいたのにお返事が遅れてすみません。

 ただこうも思います。女性学の権威と目される上野さんが行動され、署名運動が起こり、それに多くの研究者や関係者の方々が賛同の意を表するという今回の動きが、どこまで広範な人に訴えかけられるのか。「またフェミが細かいことで騒いでいる」というベタな印象を払拭して、「運動」がどこまで効力を発揮できるのか。

 そうですね。わたしと、今回の動きとの接点はごくわずかなのでよく分かりません。ただわたしの感覚で言うと、上野さんが他人の権利侵害に対してではなく、自分の権利侵害に対して闘い始めたと言う点は高く評価できると思います。「表象=代行批判」とは「批判して何もしない」ことを意味するのではなく、「被支援者−支援者」の落差を自らが当事者に成ることにより乗り越えることであるべきだからです(唯一の方法ではないでしょうが)。

 抗議文でもジェンダーの定義をしジェンダー・フリーについても説明していますが、ジェンダーは、自分自身の問題としてリアリティをもって捉える体験がない限り、頭で理解できるものではないと思います。大袈裟に言うと身を切られるような実体験と共に感じるものであって、そこからしか入り口はない。

 これはおっしゃるとおりだと思います。わたしは女性ではなく差別された体験もあまりありません。ただ自己を(マジョリティとして)肯定する気配みたいな物が嫌いで、フェミニズムなどにも興味を持っているだけです。


 いままでフェミこんなふうに敗北してきた、だからこれからはこうした戦い方では駄目だというのならわかりやすいですが、貴ブログコメント欄ではそうした議論はなかったようですね。きよたさんの言われる、フェミニズムが「自ら作った壁」とは何か、あのコメント欄の文章からは私には読みとれませんでした。
 わたしの主要な関心は「閲覧者さんの文章(思想)において、“全ての「抗議」は不可能になる。”」かどうかにあるので、話がもう一つかみ合いませんね。
(2/4 12時追加)