松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

新しいパソコン構成の必要

 新しいパソコンを組み立てて、最初デスクトップにアイコンが一つ(ゴミ箱)があるだけで、空が一面に広がっている絵に感動した。
 さていよいよ使い始めるという今、すでに10個のアイコンを張り付けている。これからもできるだけ増やさないようにしよう。
 私の欠点は、いろいろあるがまず整理能力がないことだろう。パソコンは中がぐちゃぐちゃでも外に現れないので良い。わたしの<松下昇への接近>も、松下についての手垢にまみれたイメージや方法を否定するという問題意識はあるとしても、テキストや批評の提示の仕方がランダムで読者のことを考えていないと言われるだろう。いままであえて避けてきた面もあるので、今年は少しは努力してみたいと思う。
 パソコンはマザーボード*1何を繋ぐかによって千差万別になる。人間というものが千差万別であるように。しかし実際にはわたしたちは、「大学を出てネクタイを締めてサラリーマンになる男性」を標準とする社会に数十年前からなっている。ところがいまや、そのような社会のあり方から脱却しなければならない時期にきていることは明らかである。しかし新しい「標準」は提示されていない。その危機において、60年前に失敗した「靖国愛国心」的なものが再び支配的になろうとするのだろうか。悪い冗談だとしか思えないが。
 人間というものは千差万別である。そんなに違いがある訳ではないともいえるが、それでも必要最小限を大幅に超過して差異は存在する。わたしたちはもっと自由になれる。で、パソコンだがみんながワード・エクセル・DVDのついたそんなパソコンを買っているという状況は変わるべきだ。パソコンは自己の鏡像であり、わたしたちは鏡像があれば自己変革できる。*2

*1:正確には、マザーボード、cpu、memory、ハードディスク、ネット接続を最小構成としてそれに対して

*2:お化粧するために鏡がいるように。