松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

香港のど真ん中で「世界」に叫ぶ  □ ふるまいよしこ 

昨日書いた、反WTO活動家拘束テーマとの関連で、
http://d.hatena.ne.jp/noharra/20051222#p3
香港人は反WTOデモをどう見たか?の一側面。「村上龍さんのJMM」の記事から。

http://ryumurakami.jmm.co.jp/recent.html JMM最新号
 連日、香港メディアが本題の閣僚会議の流れよりも何倍も多い紙面を使って流し続けた「デモ隊」「封鎖」「暴力」「武装警察」「ブロック」「催涙ガス」などの刺激的な言葉とは裏腹に、なんとデモ隊見物の市民は日に日に増え続けた。香港では1967年以来だといわれるほどの騒ぎとなった17日未明の衝突で900人が逮捕されたというのに、翌日の日曜日には多くの香港市民がデモ隊見物に出かけたという。

「二日間の海へのダイビング、火攻め、警察の盾奪取などの激しい抗争を経て、韓国の反WTOデモ隊は昨日、『反熱狂』的行動に出た。女性農民がトップに立ち、1000人を超えるデモ隊は『三歩一拝』の方法と誠実な涙で、コーズウェイベイからワンチャイまで1000回以上路上に頭を下げながらWTOへの抗議を表現した。多くの市民がその泣きながらの訴えに感動し、堂々たる男たちですらもティッシュで涙を拭き、周囲は大きな感情の波に引きずり込まれた」(「三歩一拝、死ぬまで戦うことを誓う」経済日報・12月16日)

「韓国農民たちは連日、人々に粗暴な男たちのイメージを与え続けてきたが、ひざま付き、頭を下げるその様子に、彼らの訴え、絶望が香港人の心を打った。市民も思わず街に出て拍手で彼らへの敬意を示したり、記念写真を撮ったりと、農民たちにこれまでとは違う哀れみを示すようになった。ワンチャイ、コーズウェイベイの繁華街における一触即発の雰囲気は一掃され、瞬間に異民族理解の場となった」(「寒風に頭を下げる姿に香港人が涙する」経済日報・16日)

(略)
実際に、会議開催前の人々はさして自分とは関係ないものの、予想されていたデモや騒乱にあからさまな嫌悪感を口にしていた。それが幕を開けると、日々、繁華街を練り歩くデモ隊に水や果物を届ける人々の報道が続いたのである。

『経済日報』は「まるで聖地を巡礼するかのような姿に思わず身体が震えた。香港人は他の国のデモ文化を見習うべきだわ」という市民の声を載せ、他のメディアでも「デモ文化」という言葉が使われ始め、「香港の抗議デモも他国の文化をもっと学ぶべきだ」という声もちらほら伝えられるようになった。

 わたしが一番驚いたのは、この香港人たちがデモ文化を語るという「余裕」である。

香港でも今月4日、曾蔭権行政長官が示した政治体制改革案に対して、董建華前長官の頃からくすぶっていた「行政長官と立法議会議員の直接選挙実施」のスケジュール表作りを求めて、25万人(主催者発表)がデモ行進した。これは1997年に香港の主権が中国に返還されて以来、2003年7月1日に行われた民主化を求める50万人のデモに次ぐ数字である。

 香港人というと、他人の人権侵害といった話題なんぞセンチメンタルと見なす金儲け主義者というイメージがあるが、中国共産党による統治が本格化するにつれてみずからデモをするという文化を学びつつある、ということのようだ。
 それにひきかえ、戦後60年政治的自由に恵まれてきた私たち日本人はどうだろう。
 自分でデモをする必要はない。というかなんか最初から話がうまく通じそうもないと言うか。デモしたい人はするしそうでない人はしないという自明性の上に、自由主義(民主主義)社会は存在するのでわたしたちの社会もそうだったはずなのに。その前提が一切失われ。「デモとかする奴ら」というのが、ある種の「非国民」としてまず把握されるみたいだ。で「迷惑だ」とかいう。
 (つい60年前にひどい目にあったばかりなのに。ていのう?)
わたしたちは困窮しているわけではないのに、自信と「余裕」を失った。