松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

# Panza 『あーれーまー。みんなここに来てたの?Panzaです。ふふーん問題を少し考えて来てみたらアララ「問題」もまた増えていたり。
ふふーんは
1  野原さんのいうように神である叙述者(作者ではなく)のナルシシズムを相対化するための自己ツッコミである。『金毘羅』の二作前の『S倉迷妄通信』の最終章では(実はもっと前からやっているのだけど)作家笙野頼子が主人公によってコミカルに描かれている。面白いというのは大事。Panza的にも独りでムッツリ記事書いているのはつらい。正面から横からツッコミ入れてもらうと元気が出る。ワタシの意見がどうこうより意見の束のほうが面白いじゃない?
2 これは野生の金毘羅の鳴き声でしょう、きっと。人間の感嘆詞としてもイミ通じるけど。金毘羅は神であり人であり「動物である」←これ大事。これを三分割したのが今の世界。
3 文章のリズム、拍子をいろいろ変えて楽しませる。小説には歌謡性があったほうが楽しいもんね。♪はァ、それからどしたっ♪とか♪ヤッコラセ〜ヨ〜イノヨイ♪とか。♪どっこいせのせっ♪とか(いい加減にしろ)
『金毘羅』を朗読してみたらきっと面白かろう。ぷふい。 
』 (2005/09/27 22:19)