松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

antonian
『野原様>以前某所でお話ししたことがあるので懐かしいですね。
さて、今回のエントリにおいては、天皇制の是非問題よりも、堀江氏の価値構造について、その彼の結論の是非を問うというより、何故そうなのか?問ううことを寧ろ知りたいとは思いますね。ですので「彼に反対している」というのではなく、他のブログの多くで「舌禍」と受け止められているこの現象とはどういうものなのか?というコトの端緒のエントリのつもりでしたので、その辺りをよろしくお願いいたします。
尚「天皇制は論じてはいけない」などと一言も書いておりませんので人の書き物の結論を創造のうちに先取りて焦りませぬよう。』(2005/09/08 11:59)

(野原)
antonianさま 失礼しました。
 以前お話したのはラッチンガー教皇(と言っていいのかな)の時かと思ったらあれは別の方でしたね。最近はご無沙汰しておりました。
 さて「尚「天皇制は論じてはいけない」などと一言も書いておりませんので人の書き物の結論を創造のうちに先取りて焦りませぬよう。」
ということでしたので、タイトルを「天皇制を論じてはいけない、という意見?」 に変更しました。
ただ、いまでも“憲法1条削除論は論として取り上げるに値しない”と黙示的に語っておられると受け取っております。
彼が「憲法が『天皇は日本の象徴である』というところから始まるのには違和感がある。」と明確に述べているのに対し、それが明確な意見(政治的=憲法論的領域の意見)ではない、と聞き取ってしまう方がいる。antonianさんもその一人だ。それはおかしい、というのが私の意見です。

わたしは堀江氏の精神構造について興味はありません。ただ、堀江氏の精神構造や容姿に興味を持っていたとしても、彼は政治的言説で評価されるべき場に立候補したのであれば、まず彼の発言が政治的言説としてどうなのかの評価を先になすべきでしょう。antonianさんはおそらく彼の意見に反対なのでしょうが、そのように正面から立論せず、彼の発言が常識の範疇外だ、という排除の仕方をした、ように受け取りました。

ホリエモン発言が「他のブログの多くで「舌禍」と受け止められている」とのことですが、この舌禍という言葉をどういう意味で書いて居られるのか、前回から私にはよく分かりませんでした。
舌禍を辞書で引くと、「自分の発した言論が、法律に触れたり、常識に反していたり、他人を怒らせたりしたことなどによるわざわい」とあります。堀江氏は既に「わざわい」を受けたのでしょうか?antonianさんの引用された毎日新聞他のソースにはなかったようですが。(9/8 20時)