松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

# amo 『「各個人が、自分の罪について主体的に考えるべきだ」と
自分の罪について主体的に考える事には賛成なのですが
この、考え方が歪曲され
「各個人が、他人の罪について主体的に考え」てしまい、
罪をおかした他人ではない以上、同じ状態にあっても
罪をおかした個人にならなければ、罪はおかされるとは限らない、
つまり、
この戦争でおかされら罪だからといって
もう一度戦争をした時に、同じような罪がおかされるとは
限らないではないか、罪が発生するかどうかは
やってみなければわからないではないか、
という主張に変わり
やってみよう、という所に繋がってしまいかねない
危惧をおぼえるので、
あいまいにしておくこともまた、いいのではないかと
生意気な事を思いました。

自分のところでは、コメントに回答する責任を果たしきる自信が無いので
コメント欄を閉じているのに
しゃしゃりでてすみません。
ちょうど、同じような事を考えている最中だったのでつい。』 (2005/08/28 18:15)
参考:
http://amo-ya.blogspot.com/2005/08/blog-post_112522803649548012.html
罪の帰属