松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

集合体の罪という発想 のメリット

集合体の、多数個人各々が、
みんながやっていることを、自分もやって何が悪い、という
集団心理、責任を擦り付け合えると思うことによって、
個人一人であればできなかったようなひどい事をやってしまった場合には、
その責任は、集合体が背負う事によって
集団心理の責任の擦り付け合いをしても、
やはり、結局は代償は払わなければならないものになるという
罪をなす事のリスクが、確定するのだと思う。
自分が、腹を切って自決してお詫びして、居なくなって(逃げて)しまっても
自分達の子孫に罪が受け継がれると思ったら
そういうひどい事は、あらかじめ、しないようにしようと思う理由のひとつになると思う。
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=集合体に、その時点と、それ以降に加わる個人は全てその罪を背負っている
かもしれないしそうじゃないかもしれないし、責任の所在も、特定しようとすれば
もにゃもにゃしているが、確実に重たい。

=だから、せめて、この重たいものをそれ以上増やすのはやめないか、と。
罪が集合体というひとつの存在によって
繰り返されているものと考えて、
痛い思いをしながらなお繰り返しているという
その愚かさを認識する   (同上)