松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

ににぎ

古事記伝』を読んでいたのだが中断している。
今日ブラブラ見ていたら次のような記事があった。

たとえば古事記の記述によれば、天照の直系の後継ぎは「正勝吾勝勝速日天の忍穂耳の命(まさかあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)である。古事記には「太子(ひつぎのみこ)」と書かれている。この忍穂耳の命の子は二人おり、「天の火明の命(あめのほあかりのみこと)」と「天つ日高日子番の邇邇芸命(あまつひだかひこおのににぎのみこと)」である。

 この邇邇芸命の名前を良く見てみよう。「あまつひだかひこ=天津比田勝彦」なのである。つまり天国(あまぐに=壱岐対馬を中心とした海洋王国)の比田勝津=港の長官という名前なのである。

では天国の王位継承者はだれか。当然、天の火明の命である。この天の火明命の名前を日本書紀で見ると、「天照国照彦火明の命(あまてらすくにてらすひこほあかりのみこと)」である。天国だけではなく陸の国も治めるという名前になっていることがわかるであろう。本流はこちらなのだ。
(以上3つは http://www4.plala.or.jp/kawa-k/kyoukasyo/1-7.htm より)

古事記、新潮日本古典集成版によれば、葦原の中つ国を「知らしめせ(領有支配せよ)」と言われたのは本来、天の忍(おし)穂耳の命(命)だった。この命は高木の神の娘と御合いして、二人の子を得る。上の子が「天の火明(あかり)の命」下の子が「日子番能(ひこほの)邇邇芸(ににぎ)の命」である。別名から考えて上の子の方が本流ではないのか、というのがkawa-kさんの意見。
古事記伝では4巻のp95から。ざっと見た限りでは、 比田勝津=港の長官、ということは宣長は書いていないようだ。
古事記の勉強をサボっているので、(くじけてしまわないよう)ちょっと書いてみた。引用先に感謝する。