松下昇への接近

 旧 湾曲していく日常

恥を知れ

え〜っとう、だいぶ前から、id:drmccoy:20050518 マッコイさんに、応答しなければいけないと思いながら、気が進まずに後回しにしてきた。スミマセン
(本来複雑多様なものである現実を平板化した上で、テンプレート通りの言説を多量に繰り出してくる、といった印象をもった、ということかもしれない。)
ちゃんとした対話者でなくて申し訳ないが、わたしはまだマッコイ氏の文章を(関係部分)全部読んでいない。無視しているわけではない、と言うためだけにちょっとだけ(しかも全然斜めから)書いてみよう。
(1)
id:drmccoy:20050518でマッコイ氏は、わたしが紹介同意した加藤、宮台の主張などを次のようにまとめている。

 「A級戦犯スケープゴートにして、極東国際軍事法廷(=東京裁判)を受け入れることで日本はサンフランシスコ講和条約(or 平和条約)を締結して国際社会に復帰した。A級戦犯を罪人として裁いたからこそ日本は国際社会に復帰できた。だからA級戦犯が祀られている靖国神社に首相が参拝すると、それを覆すことになってしまう」

上の文章の「日本」という主語を問題にする。(強引な批判である。)大日本帝国は戦争に負けた。唯の戦争ではない。プチウヨの諸君が自衛戦争なんていうのはみっともない。世界の帝国主義秩序を転覆しようとした攻撃的な戦争である。「大東亜の大義」なしに成立しえた戦争ではないのである。で負けた。負けたことをどう考えるか。A.負けた主体「皇国」を一部修正するだけで継続できるか。B.それとも負けた主体は倒産させて、新しい主体を立ち上げるか。
戦後日本がややこしいのは両方の面を持っていたからである。
A.ヒロヒトは退位しなかった。東京裁判ヒロヒトを訴追対象から除外した。戦後憲法の1条は天皇を保証している。
B.日本は天皇主権から国民主権に百%変わった。戦争放棄。戦力不保持。「恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚し*1」生まれ変わります。
戦後日本はAとBを適宜使い分けながら、戦後60年なんとかやってきた。その前提となったのは東アジアにおいて米国(米帝)がソ連などと対峙する冷戦構造において、日本が米国に従属する立場をとったことである。ここではA.対米軍事協力/B.平和主義となって、A.の枠の中でB.も主張することで日本は血を流すことなく繁栄を達成した(と言われる)。国共内戦朝鮮戦争と戦後も戦火に見舞われた中国、朝鮮はいち早く回復を遂げた日本に国力において大きく後れをとり、日本は米国の後押しのおかげで戦争に対する補償なども極軽微に済ますことが出来た。日本は中国、韓国朝鮮に対する戦争責任の問題を、国民全体にが自ら答えなければならない巨大な問題として突きつけられることなく(幸か不幸か)60年やって来ることができた。
これは「対中国」「対韓国」などの問題ではない。日本は戦後60年そこそこ成功してやって来たにもかかわらず、その根拠がA/B と分裂したままだ。

そんな中で、米軍が上陸した慶良間列島などでは、追いつめられて肉親同士が殺し合う「集団死」が起きた。慶良間列島だけで犠牲者は700人にのぼる。id:noharra:20050623#p1

「生きて俘虜の辱めを受けず」なら、敗戦の途端に1億人は自決しなければならない。自決した人はほとんど一部だった。自決もしなかったものの子孫がいまさら「自衛戦争」なんてことを言い出す。恥を知れ、と言いたい。

*1:憲法前文